東海道歩きは、南湖の左富士地点を過ぎ進みます。

 

 

 

 

 

高野山真言宗のお寺「円蔵寺」は、寺伝によれば茅ヶ崎本村の地に永享元年(1429)創建。慶安2年(1649)には徳川家光より朱印状を受け、近世には13ヶ寺の末寺をもつ中本山として栄えましたが、大正12年(1923)の関東大震災により損壊、昭和4年(1929)に現在地に移りました。

 

 

 

しばらく進み、交差点を渡ると「茅ヶ崎一里塚」があります。日本橋から14番目にあたります。

 

 

 

 

江戸時代の松並木を残します。幹回り2.2m、推定樹齢400年とか。

 

 

 

 

 

 

このあたりに立場があり、ぼた餅が人気の茶屋があったそうです。平塚宿~藤沢宿の間には4ヶ所の立場がありました。

 

 

 

高野山真言宗のお寺「千手院」は、元和年間(1600年代)開基。

 

 

 

 

浄土真宗本願寺派のお寺「上正寺」は、寺伝によると元は顕密兼学の道場だったが、嘉禄年中(1225)住僧・了智坊道圓(佐々木四郎高綱公)が親鸞聖人に謁しその宗法に帰依。親鸞聖人が「無上正覚寺」と名づく。後、寺務を智圓に譲り、信州松本に正行寺を建て、仁治2年2月29日其の地にて寂す。歳72才。後、本山覚如上人巡国の折り、当寺に寄り寺号を略して「上正寺」と呼びしより、今の称になれりと…相模風土記(抜粋)

 

 

 

「佐々木高綱(1160~1214)」…平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。近江宇多田源氏(佐々木秀義)の4男。源頼朝・義経・義仲たちと従兄弟にあたる。木曽義仲追討の宇治川の戦いでは、頼朝から与えられた名馬「池月」に跨って、梶原景時(㊟)との先陣争いで知られます。

 

㊟「梶原景時」およびその愛馬「磨墨」については「稲置街道(2)(3)」で記事にしています。

 

 伝・佐々木高綱画像/和歌山県高野町泰雲院所蔵

 

 

 

住宅の前に「明治天皇御小休所阯」の碑がありますが、なんの説明書きもありません。個人所有な㎜でしょうかね。

 

 

 

 

松並木が続きます。

 

 

 

東海道歩きは「藤沢市」に入りました。

 

 

                    2024/05/17