今回の東海道歩き3日目は、平塚駅からです。当初のなんとなくの予定では3日目は、江ノ電を利用し江の島~鎌倉を廻るつもりで藤沢に宿をとったのですが、思いのほか東海道が歩けず、江の島~鎌倉めぐりを諦め、平塚駅から東海道を歩くことにしました。なんとか横浜に近づきたい…との思いです。
ホテルの朝食は、もちろんバイキング。前日食べた「シラス丼」がとても美味しかったので、温泉卵を載せ、この日もいただきました。
連泊した「スマイルホテル湘南藤沢」です。部屋も広くダブルベッドで、駅から近く使いやすいホテルでした。
この日の歩き(5/17)は、平塚駅北口からです。
駅から初めての信号交差点を右折するのが旧東海道ですが、国道1号線まで直進します。
「平塚八幡宮」に詣でます。
仁徳天皇の御代の68年(380)、当地を襲った大地震があり、人々の苦しむ姿を見かねた第16代仁徳天皇が創祀したとされます。
その後も相模国一国一社の八幡宮として歴代天皇や源頼朝ら武士からの崇敬を集めます。戦国時代に兵火によりことごとく灰燼に帰し、江戸時代になって徳川家康により社殿が復興されました。現在の社殿は、昭和3年(1928)に再建されたものです。
祭神は応神天皇・神功皇后・武内宿禰です。
となりに愛称「八幡山洋館(旧横浜ゴム平塚製造所記念館)」があります。このあたり江戸時代幕府が管理した御林で、明治以降御料所となり林野局の管理する遊休地でした。日露戦争時日本海軍が使用した火薬の全量をイギリスに依存していました。海軍内部で国産化の動きが沸き起こり、ここに工場が建設されることとなり、明治38年12月日英同盟のもと日本海軍と英国3社の合弁会社日本火薬製造㈱が設立され工場が建立されたのです。
この建物は英国人支配人の執務室、あるいは住居として建設されたものです。平塚市内唯一、神奈川県内でも数少ない明治時代の洋風建築です。大正時代海軍高等官クラブ(正式名称横須賀水交社平塚集会所)として使用されます。
第2次世界大戦終戦後は米軍により接収されますが、昭和25年横浜ゴム㈱が払い下げを受け、応接室・会議室として使用されました。
平成16年平塚市に無償贈与され、現在地に移築され、復元公開されています。
明治39年頃(1906)建造。木造平屋建、鉄板葺で、建築面積212.83㎡。ヴェランダやベイウィンドーなどが特徴。南東に塔屋を頂き、外壁はドイツ下見板張りとする。建設当初の姿を良く残し、小規模ながら明治期の木造洋風建築の佳品といえるとして国登録有形文化財となっています。
玄関まわり。
主屋部分の4つの窓は、上部がアーチとなっており、また窓の上部には手の込んだペンダントと窓の下部にはエプロン風の飾りを有しています。
ベイウインドウ。
2024/05/17