東海道歩きは大磯を進みます。

 

 

 

 

東海道にはこの先、大磯宿本陣跡などがあるのですが、少し街道を離れ左に入り島崎藤村夫妻の眠る寺「地福寺」を訪ねます。境内の梅林は藤村のお気に入りで、生前自らの墓所として希望していたそうです。

 

 

 

簡素な生活を過ごしたという藤村にふさわしい墓碑です。

 

 

 

 

 

JR大磯駅に向かいますと見えてきたのが「旧木下家別邸」です。

 

 

 

 

この建物は大正元年に建築されたツーバイフォー工法の建物で、この工法では国内最古のものとされます。屋根は切妻スレート葺で、左右の屋根上に大きなドーマ窓を開け、外壁は南京下見板張り、各部屋に採光性に優れたベイウインドウが設置された造りが特徴的です。正面中央の玄関ポーチの上に2階バルコニーを乗せたデザインの大正モダン建築です。国登録有形文化財および大磯町景観重要建造物です。

 

 

 

現在は「大磯迎賓館(イタリア料理)」として営業しています。

 

 

 

JR東日本大磯駅。明治20(1887)年開業。現駅舎は、関東大震災後の大正14年(1924)再建。切妻屋根にオレンジ色の瓦葺。車寄せの大きな三角屋根が特徴的です。伊藤博文や吉田茂の邸宅があり当駅を利用したと思われます。平成21年近代化産業遺産(経産省)に認定。

 

 

 

 

 

大磯駅を下り旧東海道に入ります。

 

 

 

 

松並木も残っています。

 

 

 

 

このあたり「大磯宿江戸見附」です。大磯宿の出入り口。

 

 

 

 

廣重描く「東海道五拾三次内  大磯(保永堂版)」です。…虎ヶ雨という副題がついてます。大磯宿江戸見附榜示杭が立つ近くを合羽を被って馬で行く旅人。先は海岸と磯の松、その向こうに広がる相模灘。大磯の海岸は「よろぎの浜(万葉集)」「こゆるぎの磯(古今集)」と呼ばれる歌枕の景勝地でした。歌舞伎でも有名な曽我十郎が、仇討の果てに命を落とし、その愛人であった大磯の遊女・虎御前が流した涙が雨になったという故事から、十郎の命日である陰暦5月28日頃の梅雨時のしとしと降る雨を「虎ヶ雨」というのだそうです。

 

天保4年(1833)頃制作。

                    2024/05/16