東海道歩きは「大磯町」に入りました。

 

 

 

 

「塩海橋(葛川)」は、二宮町と大磯町を分ける境界です。

 

 

 

松並木が残っています。

 

 

 

 

キロポストは気になります。

 

 

 

 

このあたり「国府新宿」「国府本郷」といいます。大化の改新により全国に政務を執り行う役所・国衙が設置されました。その地を「国府」と呼びます。ここ相模国では数か所の変遷を経て六所神社の鎮座地である柳田郷に国府が置かれました。『吾妻鏡』治承4年(1180)10月16日条に…「相模国府六所宮に至り給う」とあり、地名も柳田郷から国府と呼ばれるようになりました。

 

 

 

その六所神社に向かうのですが、その手前にある「宝積院」に寄ります。

 

 

 

奈良時代、僧・行基によって創建されたと伝える東寺真言宗のお寺です。

 

 

 

この梵鐘は寛永8年(1638)の紀年銘を有します。

 

 

 

 

 

JR東海道本線をアンダーパスでくぐると「相模国総社・六所神社」があります。

 

 

 

創建は崇神天皇の御代、出雲地方より移住した氏族が彼らの祖先神である櫛稲田姫命・素戔嗚尊・大己貴命を守護神として、ここから約1㎞の地点に祀り柳田大明神と称しました。

 

大化の改新後、国司の制度が始められてゆく中、元正天皇の御代の養老2年(718)奉遷歴勅をもって相模国八郡神祇の中心をなすべき旨が宣下され、相模国総社と定めれ、この地に遷座。柳田大神に、一之宮寒川神社・二之宮川匂神社・三之宮比々神社・四之宮前島神社・平塚八幡宮の御分霊が合祀され、六所の大神を祀ることから「六所宮」となったのです。

平安時代に入り相模の国府がこの地に置かれると、「相模国府六所宮」「相模国総(惣)社六所大明神」とも称せられるようになりました。

 

 

 

鎌倉時代には頼朝も富士川の合戦の戦勝祈願、北条政子の安産祈願など、篤い敬神の念を寄せ、戦国時代には小田原北条氏も社殿の造営・修復を奉じています。徳川家康・家光も所領安堵御朱印状を残します。

 

御祭神が出雲国の所縁であることから、出雲大社大しめ縄を奉製しているのだそうです。

 

 

 

 

この神社に伝来する木造御神像は、祭神である櫛稲田姫命と素戔嗚尊と伝えます。平安時代後期の作とされ、国司奉納と伝えられます。

 

神奈川県重要文化財

 

 

街道に戻り進みますと「国府本郷一里塚跡」がありました。そこを過ぎれば…

 

 

 

 

真言宗のお寺「国府山・寶前院」があります。創建など詳細不詳。

 

 

                     2024/05/16