今回の東海道歩き2日目は「国府津(こうづ)駅」からです。

 

 

 

国道1号線キロポスト。日本橋まで78㎞。1時間に4㎞歩くとして20時間、3㎞で26時間かぁ。…と思いながら歩きます。

 

 

 

 

「双体道祖神」がありました。

 

 

 

ここにも。…道祖神は村境の路傍にあって、外来の疫病や悪霊を防ぐ神として祀られてきました。

 

 

 

 

「瀧澤山法性院常念寺」は、寛永16年(1639)に建立された浄土宗のお寺です。織田信長の家臣・滝川一益が前川に落ち、清沢姓に改名し、討死した家臣の冥福を祈って暮らしたといわれるところです。

 

 

 

 

京都から東海道を歩き始めてここまで来ましたが、双体道祖神は見かけませんでした。そういえば中山道を歩いたときも、信州以東だったような記憶が…。

 

 

 

 

蔦に覆われた建物…人が住んでいるのでしょうかね。

 

 

 

 

「大山道道標」がありました。天保5年(1834)に建立された道標で、「従是大山道」とあります。不動明王を乗せています。「大山」は、丹沢山地にある山で、山岳信仰・修験の山として「大山詣で」が行われた山でした。

 

 

 

 

江戸時代、江戸の庶民に「大山詣り」が人気だったそうです。あわせて「江ノ島詣で」も人気でした。江戸から大山にかけての道筋はいろいろあるのですが、日数に余裕のある人は江ノ島、鎌倉、金沢八景をめぐって帰る…というコースだったようです。

 

 

 

 

東海道を先に進みますと、史跡・前川の里「車坂」と名付けられた旧東海道の遺構です。

 

 

雷神の 声もしきりに 車坂

とどろかしふる ゆふ立ちの空  太田道灌『平安紀行』…㊟諸説あり。

 

浜辺なる 前川瀬を 逝く水の

早くも今日の 暮れにこるかも   源 実朝『吾妻鏡』

                       

 

 

 

「浅間神社」がありました。

 

 

 

 

祭神は「木花咲耶姫命」宝永4年(1707)の富士山噴火で火山岩1個が落下し、これをおさめたという。

 

 

                    2024/05/16