小田原城総構えと城址公園をめぐり、本来の旧東海道歩きのスタートです。

 

 

 

まるでお城のような外観が目を惹きます。「ういろう本店」です。

 

 

 

小田原名物「ういろう」といえば、お菓子を思い浮かべますが、元々は漢方薬のことで、今でも対面で販売しているそうです。

 

 

 

見た目は仁丹と似た銀色球体で「外郎家」に代々伝わる製法を遵守する一子相伝の万能薬だそうで、別名「透頂香」といい「外郎薬」とも。

 

「外郎家」の初代は、中国元朝に仕える「陳延佑」で、医療や医学に精通し、大医院並びに礼部員外郎という役についていました。元朝が明朝により滅ぼされ、正平23年(1368)我が国に帰化し博多にきて「陳外郎」と称します。2代目「大年宗奇」は、将軍足利義満の招きに応じ京に上り、その後朝廷の命で一時帰国し「霊法丹」の処方を日本に持ち込みます。これが万能薬として重宝され評判となったことから、天皇から「透頂香(とうちんこう)」との名を賜ります。この薬は外郎家の調合薬のことから「ういろ(ら)う」と称するようになったのだそうです。

 

       

 

 

大年宗奇は、朝廷で外国信使の接待役を務めていた時に、自ら接待に用いる菓子を考案してもてなしました。この菓子が評判となり「お菓子のういろう」と呼ばれたのだとか。

 

 

 

 

5代目は陳外郎宇野藤右衛門定治と名乗り、北条早雲に招かれて室町時代(1504)に小田原に移ります。以来500年以上にわたり外郎家は代々小田原で薬と菓子を作り続けています。

 

 

「東海道中膝栗毛」にも登場しますが、最も有名なのが2代目市川團十郎です。体調不良で舞台に立てず、この薬を服用したところ見事回復します。そして感謝の気持ちで「外郎売」の演目を創り出し上演します。やがてこれが2代目團十郎の代表作となるのです。

 

㊟8代目市川新之助初舞台「外郎売」2022年11月。(C)篠山紀信

 

              2024/05/15