「奈良街歩き」のスタートは、白毫寺付近からです。

 

 

 

古都奈良にあって珍しい建物?です。

 

 

 

 

右・かすがちか道…でしょうか。

 

 

 

 

路傍に忘れかけられた薬師如来石仏が祀られています。右手は人々に安らぎと勇気の施無畏印を、左手には病苦を除く薬壺を持つお姿です。

 

 

 

 

坂を登ると、真言律宗のお寺「白毫寺(びゃくごうじ)」があります。奈良市東部若草山・春日山の南に連なる高円山の西麓にあり、その草創については、天智天皇の第七皇子、志貴皇子(しきのみこ)の離宮があり、その山荘を寺としたと伝えます。…が、そのほか諸説あって定かではありません。鎌倉中期に西大寺で真言律宗を興した叡尊が、再興整備したとされます。

 

明応6年(1497)の戦乱で堂宇を焼失。江戸時代の寛永年間に興福寺の空慶上人が再興し、幕府から50石を扶持され繁栄しました。

 

 

 

 

 

高円の野辺の秋萩いたづらに

咲きか散るらむ見る人無しに  笠 金村『万葉集巻2・231』

 

霊亀元年(715)秋9月志貴皇子の逝去されし時作れる挽歌(巻2・230)に対する反歌。「高円山の秋萩は、志貴皇子が亡くなって誰も見なくなった今も空しく咲き散っているのだろうか」…といった意味か。

 

 

この椿は、寛永年間興福寺塔頭喜多院から移植したものと伝えます。

 

 

 

花は大輪の八重で、白色のもの、紅色のもの、紅白絞りのものなど色とりどりで「五色椿」と名付けられ、奈良県指定天然記念物となっています。

 

 

 

もう一本「白毫寺椿」と名付けられた推定樹齢500年の藪椿。花は紅に点々と白い斑が入るそうです。

 

 

 

 

 

「白毫寺本堂」は江戸時代初めに再興されたものです。装飾的なものが少ない簡素なお堂です。

 

白毫とは、仏の眉間にある光明を放つという白く細い渦巻き状の毛のこと。

 

 

本堂には「阿弥陀三尊」が祀られています。阿弥陀如来像は室町期、脇侍は江戸期のものだそうです。

 

この脇侍の前傾姿勢は、往生した者を浄土に迎える姿(跪坐:通称大和坐り)といわれ、かなり前傾したお姿です。

 

㊟仏像の写真は写真撮影禁止のため、すべてお借りしたものです。

 

 

向かって左側が「勢至菩薩」…両膝をつき目を閉じて合掌しています。

 

 

 

 

右側が「観音菩薩」…蓮台を持ち右膝をついて左膝を立てた姿勢です。

 

 

 

 

 

 

境内から奈良盆地の展望が本当に素晴らしい!

 

 

 

 

「宝蔵」に入ります。

 

 

㊟宝蔵には重文の仏像8体が鎮座しています。

 

 

白毫寺といえば「閻魔大王(重文)」…冥界において死後の審判をする十王の一人。迫力ある表情です。

 

日頃の行いが良い私(ほんとか)ですら、少々怖い感じを受けます。いやー、舌を抜かれそう。

 

㊟元焔魔堂の本尊。鎌倉時代作。

 

 

 

「地蔵菩薩立像(重文)」…彩色が綺麗なお地蔵さんです。

 

㊟鎌倉時代後期の作。

 

 


「阿弥陀如来坐像(重文)」…は、白毫寺の本尊です。

 

平安末期から鎌倉時代初期の作。

 

 

 

「伝・文殊菩薩坐像(重文)」…白毫寺最古の仏像とされます。

 

㊟元多宝塔の本尊。平安初期の作。

 

 

 

白毫寺の仏像の余韻を残したまま、次に向かいます。

 

 

                       2024/04/05