「稲置街道」は歩き終えたのですが、折角ですからもう少し歩きます。というのは稲置街道は名古屋城下と犬山城下を結んだ脇往還で犬山街道とも呼ばれた道です。しかし、終点を中山道鵜沼宿だという説もあります。

 

そんなわけで折角ですから「鵜沼宿」まで歩いてみます。

 

 

 

 

郷瀬川沿いに下り木曽川左岸遊歩道に出ます。

 

 

 

 

振り返り仰ぎ見る国宝「犬山城天守閣」です。桜満開で映えます。

 

 

 

 

桜並木の遊歩道を上流に向かいます。この橋のあたりが東山道時代~江戸時代初期の中山道時代の「内田の渡し(古くは鵜沼の渡し:宇留間の渡しとも)」でした。江戸中期になると中山道の渡しは、木曽川上流の「土田の渡し(上街道で記事にしました)」江戸下期には「今渡の渡し(太田の渡し)」と変遷しています。

 

ここ内田の渡しは、明治末期から岡田式渡船(前に記事にしました)となりましたが、大正14年(1925)犬山橋の完成により、廃止となっています。

 

 

 

 

木曽川右岸の橋の袂の岩山は、「鵜沼城」があったところです。一つの橋のように見えますが並行して二本架けられています。

 

 

 

 

「水神」が祀られています。田の神と結びついた水神は水路沿いに祀られ、水源地近く祀られる水神(水分神)は山の神と結びついています。

 

 

 

 

木曽川に架かる二本の橋、左側は道路橋、右側は名鉄の鉄道橋で、どちらも管理上「犬山橋」と呼ばれています。元々は右の橋が鉄道道路併用橋の犬山橋でした。

 

左、平成12年(2000)開通した道路橋は「ツインブリッジ」という愛称で呼ばれています。

 

 

 

 

大正14年(1925)11月に建設され、翌年鉄道の運行が開始された鉄道道路併用橋でした。橋長223m、幅員16mの三連トラス橋です。

 

 

 

 

ツインブリッジ(道路橋)ができたことにより名鉄電車専用橋となりました。

 

 

 

 

鉄道道路併用橋時代の1996年11月の画像。

 

 

 

 

 

 

対岸の岩山が「鵜沼城跡」です。築城されたのは、永享年間(1429~1440)で、土岐氏や斎藤氏に仕えこの地に勢力を持っていた大沢利治でした。

 

戦国時代中期の永禄7年(1564)、織田信長は木下藤吉郎(秀吉)に伊木城と鵜沼城の攻略を命じます。鵜沼城主の大沢治郎左衛門は強く抵抗するも、藤吉郎の調略によって降伏します。

 

その後鵜沼城は犬山城主の池田恒興に与えられ、国替えになった後は中川定成が犬山城ともども支配します。

 

小牧長久手の戦いのさなかの天正12年(1584)3月、秀吉勢の池田恒興は東美濃に向かうと見せかけ旧領である鵜沼城に入城し、さらに犬山城を攻め落とします。その後に鵜沼城は廃城となっています。

 

以前この山は料亭旅館がありましたが閉館し、各務原市が買い取り公園化が計画されているようですが、計画は進んでいないようです。

 

 

                      2024/04/06