稲置街道の終点「国宝・犬山城」に登城します。

 

 

 

 

「犬山城」とその城下町は、土塁や堀、天然の崖などで囲まれたいわゆる「惣構え(総構えとも)」の城でした。この惣構えは城だけでなく町全体をも囲ったもので、近世の城造りの一つとして全国で造られました。

 

 

 

犬山には文明元年(1469)織田広近により「木之下城(先に触れました)」が築かれ、以降60年以上織田氏が治めていました。

 

天文6年(1537)‥…織田信康(信長の叔父)が犬山城築城→

         木之下城より移築。

永禄8年(1565)…‥織田信長の尾張統一の戦いにより落城。

天文12年(1584)…小牧長久手の戦いで池田恒興(羽柴秀吉)に

         よる攻城で落城。

天正13年(1585)…天守の建築開始?天正18年頃完成?

慶長5年(1600)…‥関ヶ原の戦いの前哨戦で東軍に降伏し

         開城。

慶長20年(1615)…一国一城令が出されるが、尾張藩名古屋城

         支城として許される。

元和3年(1617)…‥成瀬正成が尾張藩附家老となり2代将軍

         徳川秀忠より犬山城を拝領。以降幕末

         まで城主を務める。

明治6年(1873)‥…廃城令により廃城となるも天守は破棄を

         免れる。

明治28年(1859)…旧犬山藩主成瀬氏に無償譲渡される。

昭和27年(1952)…天守が国宝に指定される。

平成16年(2004)…個人所有から財団法人犬山城白帝文庫に

          移管される。

 

 

 

いよいよ犬山城に入城です。黒門を過ぎるまでは簡単でしたが…

 

 

 

 

桜の季節で犬山祭りとあって、天守閣登城には1時間待ちでした。それにしても外国人が多いですね。この犬山には外国人の訪問客が近年かなり増えているそうです。外国人には、セントレア~犬山~高山~白川村といったルートが人気のようですね。

 

 

 

 

大河木曽川のほとり小高い山の上に建てられた「後堅固の城」で、別名「白帝城」とも呼ばれています。戦国時代幾多の戦乱で、信長・秀吉・家康の三英傑が奪い合った名城です。この地は江戸時代中山道と名古屋道に通じ、交易の要衝として大いに栄えました。

 

 

「天守閣」は、高さ18.793m。外観3重内部4階地下2階(石垣の中)、複合式(付櫓がついた)望楼型天守閣で、現存する日本最古の様式といわれ、国宝に指定されています。

 

その外観で特徴的なのが、最上階が「真壁造」ということです。格式を高めるためでしょうか柱がむき出しとなっています。ちなみに1階は下見板張り、2階は白漆喰総塗籠造です。

 

最上階は南北に出入り口があって、外に出てぐるりと一周することができます。それを「廻縁(まわりえん)」手摺りを「高欄(勾欄)」といいます。床はわずかに外側に傾斜しています。廻縁のつく城はいくつかありますが、外に出られるのはここ犬山城と高知城だけです。

 

そして城を華美に見せるための「唐破風」が犬山城の表情を決めています。正面中央にある弓なりになっている屋根のことです。

 

もう一つ表情を決めているのが「華頭窓」です。釣鐘のような形の窓、寺院などに用いられる格式の高い建築様式で、最上階北面と南面に各二つ。東面・西面にはついていません。

 

最上重の屋根は「入母屋破風、猪目懸魚、木連格子、渋墨塗り」で意匠性に富んでいます。

 

白帝城…江戸時代の儒学者・荻生徂徠が李白の詩「朝(あした)に辞す白帝彩雲の間…」から名付けたとか。

 

 

石垣は、自然石を積み上げた「野面積」です。付櫓は切妻破風梅鉢懸魚となっています。

 

 

 

1階は納戸の間で、中央部に「上段の間」が設けられ、城主の居間です。2階は武具の間、3階は唐破風の間、4階は物見の段。四方に約半間の廻縁および勾欄がある。

 

㊟上段の間は畳敷きとなっています。

 

 

3階「唐破風の間」唐破風の内部です。

 

 

 

 

4階「廻縁(まわりえん)」に出ます。登城客が多くてゆっくりできません。南面から出て右回りで回ります。天守閣からの四方の眺望はまさに絶景です。

 

 

南面…天守閣直下と城下町を見たところです。遠くに尾張富士(先に上街道で記事にしました)や本宮山が望めます。

 

 

 

 

西面…犬山頭首工(堤長420m)と木曽川下流域です。ここで取水された水は、濃尾平野を潤しています。近くに見える山は伊木山、城跡もあります。遠くに金華山や伊吹山も望めます。

 

 

 

 

北面…美濃の山々が連なります。

 

 

 

 

で、犬山城の表情を決めている「華頭窓」です。しかし窓といいながらよく見ると窓枠だけです。いってみれば飾り窓なんですね。でもこれで装飾性と格式を高めているのです。

 

 

 

 

もう一つ、天守閣には魔除けの瓦「桃の瓦」が全部で八つ載っています。桃は中国では古くから邪気を祓い不老長寿を与える縁起の良い果物とされていますから、縁起を担いでいるのでしょうね。

 

㊟北側唐破風の西側のもの。八つそれぞれ姿かたちが違います。

 

 

東面…木曽川上流を眺めたところです。犬山橋が見えます。

 

 

 

犬山頭首工(ライン大橋)から遠望の犬山城です。南面から見た犬山城とはまた違う表情がうかがえます。後堅固の城とはまさにこのことですね。

 

 

                    2024/04/06