「稲置街道」の記事に戻ります。稲置街道を北進しますと…

 

 

 

 

名鉄犬山線「犬山口駅」です。

 

 

 

 

 

踏切を渡ると「看板建築」がありました。昭和の香りがします。看板建築とは、関東大震災以降から昭和にかけて、木造建築の正面を洋風に仕上げた店舗併用の建物のことです。多くは街道沿いの商店に見かけられました。

 

 

 

 

こちらは純和風建築です。「羽黒屋」とありますが、どんなお店だったのでしょうね。

 

 

 

 

 

「岩倉街道」との追分を過ぎたあたりから北、桝形あたりまでを外町といいます。羽釜炊き「心太」とありますね、ところてんのお店ですね。

 

 

 

 

昭和2年創業の和菓子屋「若松屋」建物は明治初期のものとか。

 

徳川時代犬山城主成瀬家は尾張藩付家老の要職にあり、尾張の茶席文化がここにも根付いていました。犬山藩の家臣であった田中家の子として生まれた田中(相馬)半治は、明治時代半ば「明治製糖・明治製菓」の創業者の一人です。

 

 

 

 

臨済宗妙心寺派のお寺「徳授寺(赤門寺)」を訪ねます。

 

この赤門は、国登録有形文化財に指定されています。

 

 

 

 

 

文明8年(1476)開創。本尊に楠正成の持念仏である湛慶作・聖観世音菩薩(秘仏)を安置します。

 

 

 

 

黒漆喰の素晴らしい町家があり、幕も張られ少しづつ犬山祭の雰囲気が出てきました。

 

 

 


少し進むと黄檗宗のお寺「神護山・先聖寺」があります。

 

 

 


延宝4年(1676)開創。みるからに黄檗風も本堂です。屋根には魔除けとして「摩伽羅(まから)」を載せています。摩伽羅とは、鯱に似ているが鰭(ひれ)の代わりに足がはえている想像上の動物です。

 

 

 

 

町家が続きます。

 

 

 

 

 

厳骨庵とあります。

 

 

 

「げんこつ飴」は、練った水飴に黄な粉をまぶした飴菓子で、飛騨地方や犬山の伝統的駄菓子です。

 

㊟この画像はHPよりお借りしました。

 

 

さらに進むと「祥雲寺」があります。先の徳授寺の塔頭のひとつで、大永6年(1526)開創。

 

 

 

                        2024/04/06