4月に入って、会社時代の先輩に誘われ、4/5日(金)「奈良街歩き」に行ってきました。その奈良街歩きの記事については後日アップするとして、4/6(土)「稲置(いなぎ)街道」を歩いてきました。というのも4月第一土・日は、桜満開の中「犬山祭り」が執り行われるからです。稲置街道とは別名「犬山街道」とも呼ばれる街道で、上街道の楽田追分から分枝し、犬山城下に至る街道のことです。「犬山城」は戦国時代からある古い城です(この城については後に記事にします)が、家康が関ヶ原の戦いに勝利し、名古屋城を築くまでは、清須城が中心でした。そんなこともあって犬山城から清須城までの道筋が中心でした。名古屋城が築城され、尾張藩が置かれると、中山道につながる「上街道(すでに完歩し記事にしています)」が整備され、犬山城主成瀬氏は尾張徳川家の家老の一人でしたから、その上街道につながる「稲置街道」を整備したのです。犬山城下から楽田追分までが正式な稲置街道で、その先名古屋城下までは上街道なんですが、稲置街道(㊟往時犬山の地は稲置(いなぎ)村と呼ばれていた)と結構混用されています。

 

 

 

今回の「稲置街道」歩きは、名鉄小牧線羽黒駅前からスタートです。

 

 

 

 

 

駅近くに擬洋風の建物があります。現在は「小弓の庄」と名付けられた貸館機能を備えた羽黒街づくりの拠点施設です。旧丹羽郡野犬山地区一帯は、藤原氏の荘園で「小弓庄」と呼ばれていたことから名付けられたとのこと。

 

 

 

 

この建物は、地元の吉野利左衛門が明治40年代に「加茂郡銀行羽黒支店」として旧稲置街道(名犬街道)沿いに建築されたものです。

 

加茂郡銀行羽黒支店は、改称と吸収合併を繰り返し、東濃銀行・七十六銀行・大垣共立銀行羽黒支店と名称を変えますが、昭和5年羽黒支店が廃止され、その後個人所有の住宅に転用されていました。道路拡幅に伴い曳屋され、昭和18年からは愛北病院羽黒診療所として利用されるなどの経緯を経て、犬山市が平成11年復原したものです。第8回(平成13年:2001)愛知まちなみ建築賞を受賞するとともに、平成25年(2013)には国登録有形文化財に指定されています。犬山市に唯一残る擬洋風建築(博物館・明治村を除く)です。

 

 

 

 

木造2階建、寄棟造桟瓦葺、外壁は漆喰仕上げ。

 

 

 

 

正面入り口の軒唐破風…鶴の彫り物と龍の鬼瓦

 

 

 

 

内部は吹き抜けとなっていて、上部には回廊がめぐり明治期の銀行建物をうかがわせます。

 

 

 

2階和室欄間の透かし彫り。

 

 

                         2024/04/06