3/3日「上街道」を歩いてきました。今回は善師野宿~土田宿までです。

 

 

名鉄小牧線楽田駅近くに車を停め、小牧線を利用して…

 

 

 

 

犬山駅で広見線に乗り換え…

 

 

 

 

 

前回歩き終えた善師野駅まで行き、そこからスタートです。

 

 

 

 

 

名鉄広見線を踏み切ったところに…

 

 

 

 

津島神社でしょうか、祀られています。

 

 

 

 

ここから上街道「善師野宿」ですが、宿場の雰囲気は残っていません。「上街道」は「木曽街道」などとも呼ばれ、元和9年(1623)尾張徳川藩により名古屋城東大手門を起点として、小牧宿~善師野宿~土田宿、さらに中山道で伏見宿に至る五街道並みに開通させた道です。他方庶民が通った大曽根~勝川~池田(多治見)~釜戸から中山道に至る「下街道(すでに記事にしています)」に対し、徳川藩主や役人・荷駄が通った道でしたから「上街道」と呼ばれていました。

下街道は上街道に対し距離が短ったったこともあって、旅人はもちろん商人や役人までも利用し、官道上街道を保護するため、度々人馬継立の処置がとられますが、効果は一時的にとどまり、善師野宿は明治維新とともにその役割を終えました。

 

 

 

 

しだれ梅が咲いてました。寒いですが天気は快晴でした。

 

 

 

 

集会所と思われる壁に善師野宿の概要図が掲示されています。歩き始めは9時半でした。

 

 

 

 

「善師野宿」は、南北に約450m、道幅4mあり、両側におよそ40戸の人家が並んでいました。

 

㊟概要図には禅寺野宿場とあるが、由来がよくわからない。

 

 

辻には常夜灯があり、右に行く道は、地元では東山道と言い伝えます。西側には問屋澤木家があり、東側に明治の教育学者堀澤周安先生の生家跡があります。

 

 

 

 

 

さらに進むと「福壽山禅徳寺」があります。

 

 

 

 

参道の石仏は元禄3年(1698)のもの。

 

 

 

 

臨済宗妙心寺派のお寺で、室町時代の文明6年(1474)創建された古寺です。開山は伊勢の人臨済宗の僧・景川宗隆で、禅は景川といわれた人物だったそうです。

 

明治の教育者・作詞家、堀澤周安の菩提寺でもあります。

 

 

 

 

堀澤周安(1869~1941)この地尾張国丹羽郡善師野(現犬山市)で生まれ、東京に出て国文学を学び、卒業後は日本各地で教員を務め、かたわら校歌や大阪市などの市町村歌を多数作詞。

 

 

          2024/03/03