「金剛輪寺」をめぐります。
参道を進みます。本堂までの参道沿いには千体地蔵が並びます。
参道を登り詰めると「二天門」があります。室町中期に建立。当初は2階建ての楼門だったようですが、江戸中期に一重にしたようで、国重要文化財です。ここにも七難即滅を願って奉納された大草鞋が下げられています。
門の左右に「持国天」と「増長天」が祀られています。
「松峯山金剛輪寺」は、奈良時代中期の天平13年(741)聖武天皇の勅願により行基によって開山されたお寺です。平安時代の初めに比叡山より慈覚大師が来山し、天台密教の道場とされて以来、天台宗の大寺院となりました。
現本堂は、元弘の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、弘安11年(1288)、時の近江守護職佐々木頼綱によって建立されました。
このお寺も信長の焼き討ちにより一部被害を受けましたが、本殿・三重塔・二天門など主要建物は被害を免れています。
「大悲閣」といい、七間四面(約22m四方)のほぼ正方形です。入母屋造檜皮葺、内部は外陣・内陣・後陣に分かれ、外陣と内陣の間には、天台宗独特の吹き寄せ菱格子の欄間により結界を設けています。中世密教本堂の代表的建築として国宝に指定されています。
以下の写真は「伝教大師最澄1200年魅力交流コミュニケーションサイトいろり」からお借りしました。
内陣に入ると「慈覚大師坐像」があます。
慈覚大師円仁(794~864)第三世天台座主。15歳で最澄に師事、中国に渡り
五台山・長安で勉学、帰国後は天台密教の大成につとめた。
中央には厨子があり、内部には行基が一刀三礼で彫ったという本尊「聖観世音菩薩(秘仏)」が祀られています。
観音様は人々を苦しみや災いから救い、その慈しみの心は大海の如く無量である…観音経
須弥壇には本尊を守るように両脇には不動明王と毘沙門天、その前には多聞天。広目天・増長天・持国天が並び、その後ろには二体の阿弥陀如来坐像が同じく両脇にまつられています。こういった像の配置は、天台宗独特の三尊形式だそうです。
本堂内の仏像の多くは、国重要文化財に指定されています。
後陣には「大黒天」や…
「慈恵大師坐像」が祀られています。
本堂の奥手の高台に聳えるのが「三重塔」です。鎌倉時代の寛元4年(1246)に建立されたもので、国重要文化財に指定されています。
拝観を終え参道を下ります。紅葉・黄葉が彩る風景が本当に素敵です。
2023/11/27