「百濟寺」をめぐります。長い表参道を登ると…

 

 

 

 

 

「仁王門」です。仁王門の両脇には仁王様が半裸姿で立ち、勇猛剛健にして健脚の両足に草鞋を履くインド発祥の東洋的な神様です。日中の仕事を終えると、夜間は草履を仁王門の脇に脱いで、立ちながら休むとされます。

 

草鞋は、昔は仁王様の大きさに応じた大きさだったそうですが、江戸時代中期以降から、参拝者客が健脚長寿の願をかけるようになり、大きいほど御利益が多いと、どんどん大型となり、今では3m程となっています。

 

 

 

 

参道を登りつめると「本堂」です。「仁王門をくぐって、この石段を登っていくと、目の前に石垣があって、その上に何とも言えない風情のある本堂がまるで空中楼閣のようにと空中に浮かび上がって見えてくるところも、この百濟寺の魅力の一つかもしれませんね…五木寛之」

 

 

 

 

 

このお寺は、推古14年(606)聖徳太子よって創建された最古級の寺院で、仏教が半島の百済国経由で伝来したことから「釈迦山・百濟寺」と称しました。創建当時は日本に仏教伝来した渡来僧や、渡来系氏族の氏寺として発達し、平安時代に比叡山延暦寺が開創されると、ここも天台宗となり、その規模も拡大され一千坊を擁する寺院として発展し、天台別院と称されるほど壮大な寺院となります。

 

信長による焼き討ちにより全山灰燼に帰しましたが、江戸時代の寛永14年明正天皇による再建勅許の綸旨を賜り、慶安3年(1650)再建されたものです。

 

「本堂」は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風付で、国重要文化財です。

 

 

 

 

 

本堂内陣の厨子には、秘仏本尊「十一面観世音菩薩(重文)」が安置され、別名「植木観音」と呼ばれ崇められてきました。聖徳太子が生木に刻んだものだそうで、像高2.6mもあるそうです。

 

 

両脇に安置される以下の2体の仏像は、美仏の代表とされ、一生に一度は拝みたい仏像とされます。

 

        

聖観音坐像(明応7年)百濟寺HPより

 

 

如意輪観音半跏思惟像(明応8年)百濟寺HPより

 

 

 

余韻の長さと美しい音色から「昭和の名鐘」といわれているとか。

 

 

 

 

「千年菩提樹」…樹齢約千年。信長の焼き討ちの時一部燃えたが、再び蘇って今日に至っています。お釈迦様の「永遠不滅の教え」「生命の偉大さ」を感じさせる木です。

 

 

                         2023/11/27