京都街歩きは銀閣寺から南に下ります。
浄土宗知恩院派のお寺「浄土院」です。五山送り火のひとつ「大文字」を儀式することから「大文字寺」とも。
「哲学の道」を行きます。
「法然院」です。鎌倉時代のはじめ、法然上人は弟子、安楽・住蓮とともに念仏三昧を修し六時礼賛を唱えられました。
建永元年(1206)12月、後鳥羽上皇熊野行幸中に、院の女房、松虫・鈴虫が、安楽・住蓮を慕って出家し、上皇の逆燐に触れるという事件(建永の法難)が起こり、安楽・住蓮は死罪、法然は讃岐に、親鸞は越後に流罪となります。
草庵は久しく荒廃しますが、江戸時代初期の延宝8年(1680)知恩院38世萬無知和尚の発願により、念仏道場が築かれました。
山門を入ると左右に「白砂壇(びゃくさだん)」と呼ばれる盛り砂があります。心身を清めて浄域に入る…ということのようです。
さらに進んで「安楽寺」に向かいます。「浄土礼賛根元地」とあります。
「安楽寺」は、住蓮山安楽寺と号する浄土宗のお寺です。建永2年(1207)の法難で死罪となった「住蓮・安楽」の供養のため、室町時代の末の天文年間(1532~1555)に伽藍が再興されたのです。
さらに進むと、後水尾天皇創建・谷の御所「霊鑑寺門跡」があります。承応(1654)皇女多利宮を開基として創建されます。歴代皇女が務めた尼門跡寺院です。後水尾天皇が「椿」を好まれたことから、椿の庭園が有名です。
「哲学の道」を進みます。琵琶湖疎水が流れるこの道は、哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策したことから、地元住民と相談し「哲学の道」と名付けられたそうです。
人は人 吾はわれ也 とにかくに
吾行く道を 吾は行くなり 西田幾多郎
哲学って、なんか難しそう。
浄土宗のお寺「永観(えいかん)堂」に向かいます。
通称は永観堂ですが、元々は真言宗の道場「禅林院」として建立されたのが始まりです。その後一時衰退し、7世住持「永観(ようかん)律師」によって念仏の寺として中興されます。「永観」は漢音で「えいかん」、呉音で「ようかん」と読みます。
山門をくぐった途端…
参拝を諦めました。紅葉の名所でもあり「みかえり阿弥陀」の特別拝観もあり、長蛇の列でした。
「みかえり阿弥陀」…振り向きざま…”永観おそし”…と声をかけられたとか。
㊟国重要文化財 永観堂HPより
しばし紅葉を愛で、集合場所に向かいます。
2022/11/26

















