「下街道」を進みます。

 

 

 

「坂下宿」に入りました。

 

 

 

 

「永井製糸工場跡」です。当地方では明治中期に製糸工場が現れ、明治35年頃に坂下に5つの製糸工場が相次いでできました。そのうちの一つです。

 

 

 

 

 

 

「萬屋新兵衛跡」です。からくり人形師二代目萬屋仁兵衛の生家かも。

 

 

 

 

「長谷川製糸工場跡」は、明治後期の製糸工場の一つです。この頃養蚕景気で活気にあふれ、女工の数も200人を超え、料理屋、カフェー等遊び場を含めた中心的な町並みが形成されます。しかし昭和初期に入ると不景気の大波が押し寄せ、製糸工場は次々と閉鎖され衰退の一途をたどり、忘れられた町となってしまいます。

 

 

 

 

「旅籠・米屋(半六)跡」です。

 

 

 

「追分」に常夜灯・道標が建てられています。

 

右 江戸ぜんこうじ道 左 大山さく道…とあります。

 

その道を少し左に入ったところに…

 

 

 

 

曹洞宗のお寺「萬寿寺」があります。

 

 

 

 

 

ここは明治13年(1880)6月30日、明治天皇の甲州・東山道、御巡幸の折り昼食を摂られたところです。当時の随行は三条実美以下240名を超え、名古屋に向かわれたのです。

 

 

                         2022/10/16