「下街道」を進みます。

 

 

 

 

今は住宅地となっていますが、江戸時代はさびしい地帯だったようです。

 

 

 

 

写真を撮ったものの、判読できず、調べてもわかりませんでした。この地大泉寺新田を開拓した顕彰碑かも。

 

大泉寺新田は、承応2年(1653)に一村立ちした17戸ほどの村でした。寛政4年(1792)の村絵図によると、下街道沿いに農家が建ち並び、屋敷地は免税だったようです。この先坂下宿までの1里半(約6㎞)がさびしい雑木林の中であったため、尾張藩の政策だったようです。

 

 

 

 

坂を下ったところに「常夜灯」と…

 

 

 

 

「天王社」がありました。天王社…津島神社のことでしょうかね。

 

 

 

 

緩やかな上り坂を進むと…

 

 

 

 

 

「大泉寺八幡社」がありました。天正9年(1581)創建と伝える神社です。昭和40年代後半に当地に遷座。

 

 

 

 

一角に「弘法大師堂」があり…

 

 

 

 

「御立弘法大師」が祀られていました。白い顔立ちが印象的です。

 

 

 

 

道をはさんだ向かい側に「御嶽神社」です。

 

 

 

 

御嶽登拝信仰でしょう。役行者像もありました。

 

 

 

 

しばらく進みますと「尻冷し地蔵」がありました。高さ1.5m余、幅0.6m余の浮彫石地蔵尊です。台石の下から清水が湧き出し尻を濡らしていたことから「尻冷し地蔵」と呼ばれるようになったとか。

 

昔、敵に追われた手負いの武士が清水で傷口を洗い喉を潤していたところ、不運にも追手に発見され討たれてしまった。この武士の霊を慰めるために立てたのがこの地蔵です。正保4年(1647)と刻まれています。

 

このお地蔵さん、明治半ばに村人が参拝しやすいようにと先に記事にした「退休寺」に移したところ、村中に伝染病が広がりました。村人は地蔵の祟りと恐れ、もとの場所に戻すことにしました。大八車で移したのですが、移すときは下り坂でも重かったのに、戻すときは上り坂でも軽かったと伝わります。

 

 

                    2022/10/16