「下街道」を進みます。
東名高速道をくぐります。
しばらく進みますと…「大泉寺簡易水道水源井跡」なる石柱がありました。このあたりの水事情は大変厳しいものだったようですね。
坂を右に上り詰めますと…
石仏がありました。
さらに登ったところに「諸人助けの井戸」なるものがありました。このあたり「大泉寺」という地名のところですが、高台となっていて水の便が悪く、百姓は日照りに困り、又旅人も飲み水に困り果てていました。
そこで、これを救おうと思い立ったのが、道をはさんで建つ「退休寺」を創建した小野沢五郎兵衛(又五郎)です。慶安5年(1652)に完成した深井戸は、年中涸れることなく、その恩恵を受けた人々は、いつしか「諸人助けの井戸」と呼ぶようになったとか。
井戸の石枠には「施主生国□□ 小野沢又五郎吉清 南無阿弥陀佛 慶安五壬辰年二月□日」と刻まれています。
その「退休寺」は、浄土宗のお寺です。尾張藩士小野沢五郎兵衛は、初代藩主徳川義直に仕え、2代藩主光友のおもり役を務めた後、正保2年(1645)引退しこの地を隠居所とし寺を創建します。
義直公が逝去し定光寺に葬られると、小野沢はその供養のためいつでも拝めるよう本堂を東向きに建てたといわれます。(ここから東の方に定光寺があります)
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定光寺尾州藩祖廟は、生前藩祖自ら墓地と定めたところです。慶安3年(1650)徳川義直公が江戸で没し、翌4年に墳墓と石標が、同5年に焼香殿などが建てられました。
一段高き壇上に円形の墳墓、石標、唐門(葵の門)を建てています。義直公の知遇を受けた明国帰化人陳元贇(ちんげんぴん)による儒教式の廟で、江戸時代初期の廟として異彩を放っています。
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尾張藩2代藩主光友より下賜されたとされる、退休寺本尊「阿弥陀如来坐像」です。
㊟この写真はお借りしました。
境内にも井戸があります。井戸は焼き物でできた立派なものででした。
2022/10/16