「佐屋路」歩きは、「津島街道」に合流したところで終わり、帰宅のため名鉄津島駅に向かうのですが、多少の時間があり、津島の町並みと津島神社を参拝します。

 

 

「津島」は、平安末期より木曽三川を使って尾張と伊勢を結ぶ要衝の地として発展します。佐屋川の上流部「津島湊」でしたが、土砂の堆積により湊の使命を終え、湊の使命は佐屋湊に移っていきます。ここには全国の天王信仰の中心地「津島神社」もあり、尾張一豊かな町であった時期もありました。

 

 

 

 

中野町交差点角に立派なお屋敷がありました。

 

 

 

 

「津島」にはレトロな町並みが残っています。主に本町筋と呼ばれるところで、かってのメインロードでした。本町筋は、佐屋路から「津島下街道」~「津島上街道」となり、勝幡(信長の生まれたところ)~甚目寺をへて名古屋城下につながります。

 

袖壁のある町家がいいですねぇ。

 

 

 

 

 

「屋根神様」がのった町家です。名古屋市西区あたりから枇杷島~津島方面にかけてみられる風習ですが、都市化により激減しています。屋根神様に関する史料は乏しく、その起源についてははっきりしませんが、津島信仰(天王信仰)に求める説や、秋葉信仰に求める説があるようです。名古屋では真ん中に熱田神宮、左に秋葉神社、右に津島神社を祀っているところが多いようですが、伊勢神宮を祀るところもあるようです。

 

この屋根神様は、個人所有ではなく、町内(地区)の共有です。なぜ屋根の上に載るのかということですが、狭い地域で社を祀るための土地を庶民が手に入れることができなかったので、屋根の上(庇)に祀ったといわれています。

 

 

 

 

いい町家が残っています。

 

 

 

 

昔のメインロードですが、本町通りは本当に狭いです。

 

 

 

 

造り酒屋「長珍酒造」とあります。創業は江戸時代後期とか。

 

 

 

 

起(む)くり屋根の立派な町家は「渡邉家」です。大屋根が見事な曲線を描いています。

 

 

 

 

ここにも屋根神が祀られています。

 

 

 

 

坂口町の井戸です。美味しい水としてずいぶん遠方からも汲みに来たと伝わる井戸です。

 

 

 

 

お茶の「桔梗屋」です。400年の伝統の味・・・とありますが、歴史あるお店とということでしょうか。

 

 

 

 

立派な門と蔵のあるお屋敷です。

 

 

 

 

その前の辻に立つ道標。左に行くのが津島神社参宮道です。「津島神社(後日記事にします)」は創建540年前とされる古社で、「津島」の名はここから来ています。この道標から右が津島上街道です。