ホテルで朝食を終え、富山湾を目指します。いわゆる越中街道歩きは完歩していますので、「越中街道」…というタイトルもどうかと思うのですが、伊勢湾(東海道宮宿)から富山湾まで歩くという目的はまだ達成していませんので、富山湾にたどり着くまでは、このタイトルとさせていただきます。
富山ライトレール沿いの、いわゆる旧北陸道を歩くというのも方法ですが、富岩運河遊歩道が富山駅北口から中島閘門まで整備されていますので、それを歩きます。富山駅からおよそ8~10㎞と思われます。運河クルーズ船にも乗りたかったのですが、自らの足で歩くという目的ですから、これは諦めました。
ここで神通川と富岩運河(ふがんうんが)について触れておきます。富岩運河とは、富山市中心部と富岩瀬地区(富山港)を結ぶ閘門式運河です。
富山市の中心を流れる神通川は、明治の中頃まで富山城の北側で大きく蛇行(↓図黄色部分)し、たびたび氾濫していました。そこで明治34年(1901)からの改修工事では、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの提案を受け、新しい直線河道を造り、大正11年頃には現在の河道となったのです。
しかし旧河道が富山市街地を分断する形で残り、都市の発展に大きな障害でした。このため富山県は、昭和3年(1928)画期的な都市計画を決めたのです。それが富岩運河の新設と周辺部に工場を誘致し、運河を掘った土砂で旧河道を埋め立て、新市街地を整備し、更に残る土砂で東岩瀬港(現富山港)の岸壁・埠頭用地を整備するというものでした。富岩運河は昭和5年(1930)に着工し、昭和10年(1935)に完成、その後の富山の工業化に大きく寄与したのです。
時が移り物流が船運から陸路輸送に替わり、水も汚れ一時は埋め立てて道路にする計画も持ち上がりますが、富山県は昭和50年代後半、貴重な水面として活用する方針に転換したのです。
現在では上流部に「環水公園」が整備され、更に岩瀬地区との間に観光船(富岩水上ライン)が行き来し、遊歩道も整備され、県民の憩いの場となっています。また中流部には「中島閘門(重文:後日記事にします)」があり、遊覧船に乗って水のエレベーターを体験することができます。
富山駅北口も大きく発展し、オフィス街を形成しています。富山駅付近は、南北が分断されていますが(2018年5月時点)、突貫工事で立体化が進められていて、今では車道も市電軌道も繋がっていることでしょうね。
水のある風景はいいですね。
環水公園のシンボルタワーです。平日の朝ですから、人影はありません。
富山駅方面を見たところです。
運河クルーズには三艘の船が就航しています。環水公園~岩瀬間のクルーズは午前中の二便です。そのほか中島閘門までの往復コースもあります。
奥の建物は、フレンチレストラン「ラ・シャンス」、その奥が「富山県美術館」です。
写真上から①fugan…ソーラーパネルを装備したモダンで先進的なデザイン。
船体のアルミと美しい曲げガラスが特徴です。
②sora… 屋根にソーラーパネルを装備して、太陽の力も借りて
進みます。
③もみじ…アメリカ船の電気ボートです。
なんと斬新なデザインであることか。
下流方面を見たところです。
「牛島閘門(国登録有形文化財)」です。「いたち川」と「富岩運河」を結ぶ小さな閘門です。
昭和9年(1934)富岩運河開削にあわせ、下流の「中島閘門」と同時に設置されました。いたち川との水位差60㎝を調整します。同時に下流の中島閘門の開閉により失われる水量確保のために設けられた取水口でもあります。
ニューヨーク・ハドソン川の雰囲気があります。ちょっとオーバーかな。
立山連峰でしょうか。
木陰が爽やかな遊歩道です。
中島閘門が近くなりました。
「曲面護岸(通称むくり護岸)」です。中島閘門の上下流には、丸みをつけた護岸が造られています。直線的な護岸より強度の点で優れ、曲面に沿って木材を転がしながら陸揚げできることから、採用されたようです。世界的にも珍しいもので、昭和初期の土木施工技術の完成度の高さを示すものとして、国重要文化財に指定されています。
「中島閘門」に着きました。この閘門については、後日詳細に記事にします。
ことしも残りわずかになりました。
皆様よいお年をお迎えください。