晩秋の京都街歩きを楽しんできました。今回はバスハイキングツアーで、「妙心寺」から「京都御苑」まで、社寺を訪ねながら、約7㎞歩くというものです。京都ですからかなりの賑わいを予想していましたが、平日ということもあってか、比較的静かなところでした。
まずは、臨済宗妙心寺派の大本山「妙心寺」からです。「南総門(重要文化財)」をくぐります。
お寺の正面には「勅使門(重要文化財)」があります。勅使参向のとき使われる門で、平時は閉ざされています。桃山時代の慶長15年(1610)建立されたものです。
「妙心寺」は、「禅宗」のお寺です。
「禅宗」とは、座禅を主な修行方法とし、みずから悟りを得ようとする仏教の一派です。6世紀の初めインドの僧・達磨(だるま)によって中国に伝わり、唐・宋の時代に中国仏教の主流となります。経論の学問によらず座禅と問答によって仏陀の心に目覚めるというもので、日本には鎌倉初期に栄西により臨済宗が、次いで道元により曹洞宗が、江戸時代に隠元により黄檗宗が伝えられ広く普及します。
「栄西」らによって日本に伝えられた「臨済禅」ですが、様々な流派が成立します。曹洞宗が地方豪族・一般民衆に広まったのに対し、臨済宗は時の武家政権との結びつきが強く、京都五山・鎌倉五山のすべてが臨済宗で、室町文化に多大な影響を与えます。足利権勢の後退とともに衰退し、江戸時代に入って「白隠禅師」によって再興されます。この時代に臨済宗の勢力を拡大したのは「妙心寺派」と「大徳寺派」でした。現在15流派を数え、「妙心寺派」は末寺3400余寺を持つ臨済宗最大の宗派です。
臨済宗妙心寺派大本山「妙心寺」は、京都花園にあり、第95代花園天皇がここに離宮を構え、禅の奥義を究め、建武4年(1337)「開山慧玄(無相大師)」を迎え、禅寺と改めたのが始まりです。
応仁の乱などで一時衰退しますが、守護大名・細川勝元の支援を受け復興、武士層の帰依をうけ大いに隆盛します。現在も広大な敷地に46の塔頭寺院が点在します。
妙心寺の大伽藍は、近世における禅宗伽藍の典型で、勅使門から北に向かって三門、仏殿、法堂、大方丈、小方丈、大庫裏などの伽藍が直線に延びた石畳に沿って建ち並ぶ姿は壮観で、日本最大の禅寺にふさわしい偉容を誇っています。
「三門(重要文化財)」は、慶長4年(1599)建立されたものです。楼上には観世音菩薩と十六羅漢が祀られ、極彩色鮮やかな飛天や鳳凰、龍の図が描かれているそうですが通常非公開です。
内側から見たところです。三門には「空・無相・無作」という禅の境地による解脱の意味が託されているのだとか。
46の塔頭(たっちゅう)寺院の一つ「龍泉庵」。妙心寺十世景川宗隆を開祖に創建。非公開です。
塔頭寺院とは、祖師や門徒高僧の死後、その弟子が師の徳を慕い、名刹に寄り添って建てた小院のことです。
「浴室(重要文化財)」は、江戸時代の明暦2年(1656)再建です。元は明智光秀の叔父である塔頭大嶺院の密宗和尚が光秀の菩提を弔うため建てたいわれ、通称「明智風呂」と呼ばれているとか。
その明智風呂が沸いた合図の鐘が春日の局によって建てられていましたが、火災によって焼失し、近年京都東山信行寺の鐘楼を譲り受け移築されたものです。これも春日局が寄進したものと伝えます。
「仏殿(重要文化財)」は、江戸時代の文政10年(1827)建立されたものです。正面には「祈祷」と書かれた扁額が掲げられています。禅とは謙虚で祈りのある敬虔な心なんだそうです。
妙心寺の本堂で、本尊のお釈迦様を祀ります。蓮華を拈じるお姿をされているとか。
妙心寺の梵鐘は、日本最古のものとされ国宝です。昭和48年までは吊るされていたそうですが、現在は法堂内に安置されています。
鐘に「戊戌年」と彫られていることから、文武天皇2年(698)の鋳造で日本最古の梵鐘(国宝)です。九州大宰府の「観世音寺」の国宝梵鐘と同じ鋳型から造られたとされます。
「法堂(重要文化財)」は、江戸時代の明暦3年(1657)に建立されたものです。仏像は安置されず、法座や座禅が行われるところです。
内部天井には「雲龍図」が見られます。江戸時代の絵師狩野探幽が、実に8年の歳月を費やしたのだとか。お寺と龍は古来から古い繋がりがあるようで、寺院を火災から守るとかの意味もあるようです。
この龍「八方睨み」と呼ばれ、どの位置から天井を見上げても龍と目が合うように描かれています。いわばだまし絵の手法ですね。
「大庫裏(重要文化財)」は、江戸時代の承応2年(1653)に建立されたものです。妙心寺の台所で、一度に何百人もの食事を調理配膳できるそうです。
2021/11/29


















