越中街道歩きは、飛騨最北の駅「杉原」から再開です。いよいよ越中(富山)に入ります。

 

 

㊟吉城郡神岡町・宮川村とありますが、今は飛騨市です。

 

 

 

 

飛騨市宮川町杉原は、小さな集落です。

 

 

 

 

 

振り返って宮川上流を眺めたところです。左の道は国道360号線バイパスです。

 

 

 

 

 

国道360号線旧道です。左の道は旧旧360号線(旧越中街道)ですが、今は途中崩壊し、廃道となっています。廃道の手前が飛騨最北の集落「小豆沢集落」です。

 

 

 

 

旧国道360号線小豆沢~蟹寺間は、宮川沿いに曲がりくねった道で、まさに酷道として知られた道でしたが、自然災害により崩落、通れなくなっているようです。今は「飛越トンネル」「加賀沢トンネル」などのトンネル群の完成により、立派な国道となっています。

 

 

江戸時代、越中西街道が公道としてありましたが、牛馬は通れないほどの難路でした。明治に入り「飛騨往還」と命名され、道路が拡幅され車道となり、以降徐々に整備されてきます。昭和50年になって一般国道360号線となったのです。そして、平成12年8月飛越トンネルを含む新道が開通します。

 

「飛越トンネル」は1052m。「加賀沢トンネル」は432m。中間に宮川をまたぐ「飛越橋」100mがあります。この飛越橋はスノージェットで完全に覆われているため、感覚的には1600mほどのトンネルというのが実感です。

 

 

 

 

 

「飛越トンネル」の飛騨側入り口です。計画時は「小豆沢トンネル」だったようで、1998年12月に完成しています。飛越トンネルと呼ぶように、まさにトンネル内で飛騨から越中に入ります。

 

 

 

 

 

高さ4.7m、幅7.5mあります。かなりの広さの歩道もあり、歩くのに不安は全くありません。

 

 

 

 

 

1052mの飛越トンネルを抜けたところに「飛越橋」が架かっています。普通に車で走っていれば、全く気が付きませんが、宮川を跨ぐ橋が架かり、橋の上を「スノージェット」が完全に覆っています。「フル・カバード・ブリッジ」というのだそうです。

 

その橋のところに、非常時の脱出口がありました。

 

 

 

 

 

ドアを開けて外を覗いてみます。JR高山線第二宮川橋梁が見えます。それにしても飛越の難関地に、昭和初期鉄道を通すとは…日本の土木技術力はすごいものがあります。

 

 

 

 

下に降りる非常階段があります。降りてみます。

 

 

 

 

トンネルではなく橋の上をスノージェットで覆ったのがわかりますでしょうか。平成の日本の土木技術力の高さをうかがい知ることができます。

 

 

 

 

旧国道360号線が廃道となっています。これがトンネルが開通するまで国道だったとは・・・まるで林道です。

 

 

 

 

 

 

トンネルに戻り、「飛越橋」を渡り「加賀沢トンネル」を抜けます。飛越トンネル内で越中に入ったのですが、地上で越中に入ったのを実感です。町村合併でこの山奥も富山市です。

 

 

 

 

JR高山線第一宮川橋梁です。スリムな橋脚ですね。

 

 

 

 

 

こんな山の中にも人の営みはあります。

 

 

 

 

 

清流宮川です。

 

 

 

 

清流宮川が、飛騨と越中を分けます。宮川は神通川に合流します。

 

 

 

 

 

「越路トンネル」に入ります。

 

 

 

 

ガードレールはありませんが、歩道は確保されています。

 

 

 

 

越路トンネル中間点です。・・・ということは、2620mもある長いトンネルです。

 

 

 

 

やっと出口が見えてきました。

 

 

 

 

 

「越路トンネル」を出れば、蟹寺(かにでら)集落です。