善光寺街道歩きは、「稲荷山宿」をめぐっています。
「稲荷山」は、城下町・宿場町として発展し、幕末には生糸の集散場として一大商業地となります。明治13年には、群馬県を抜いて生糸輸出高で全国一位になり、この頃から十数年商業活動の全盛期でしたが、鉄道の発達などで徐々に衰退の道をたどります。
「稲荷山蔵し館」は、幕末から明治にかけて生糸輸出の先駆者となった「カネヤマ松源製糸」の松林源之助・源九郎が築いた「松林邸」を修復再生し、一般公開されているものです。
白土壁で塗り固めた典型的な土蔵造りの建物です。街道に面して頑丈な大戸とくぐり戸が設けられています。
裏の方から屋敷を眺めたところです。
くぐり戸をくぐると「土間」で、土間右手の部屋が「オタナ(店)」です。商いの場でした。
その奥に「居間」と「中座敷」「奥座敷」と続きます。
奥座敷から庭をへだてて「蔵」も見えます。左側は渡り廊下です。
二階に上がってみます。
二階は遠来の客の接待・宿泊・宴会場・奉公人部屋など、様々な機能を持っていました。
蓄音機など、往時の財力の豊かさをうかがわせます。
敷地中央の「蔵(写真右)」は内部未公開ですが、外観に往時の姿を見ることが出来ます。その奥の「二階建て土蔵」は、かっては商品の保存蔵でしたが、今は往時の稲荷山宿を伝える資料館となっています。
手押しの消火ポンプも備え付けられています。
「蔵」の入り口です。
この扉、開け閉めがかなり重いです。「カネヤマ」の屋号が打ち付けてあります。
稲荷山に過ぎたるもの三つ…「医者・薬屋・煙草屋」だったそうです。
「蔵し館」を出たら、小雨が降っていました。昼時を過ぎていたので、ちょうど隣にあった喫茶店「Cafe'シルキー」で昼食です。
軽くサンドイッチとCoffeeと思って入ったのですが、お好み焼きになりました。信州に入って久しぶりに美味しいコーヒーにありつけました。
稲荷山は、「国重要伝統的建造物群保存地区」となっているだけあって、蔵造りの家が多いのですが、先進文化を受け入れた地区でもあり、洋風建築もあります。
この建物は日本聖公会中部地区の教会、「稲荷山諸聖徒教会」です。
昭和8年(1933)地元の信者の熱意により礼拝堂が落成します。
時代の先端を行った建物「菅谷医院」は、大変モダンな建物です。昭和元年の建設だそうです。デザインといい文様といいとても素敵です。
「旧カクイチ田中商店」です。金物店だったそうですが、建物の意匠に大正モダンの雰囲気を感じます。
「稲荷山宿」最後は、「旧料亭・松葉屋」です。白壁造り四段蛇腹の重厚な建物です。最盛期には三味の音が絶えたことがなかったとか。稲荷山の繁栄を偲ばせるシンボル的建物です。
昭和41年まで料理屋として頑張ってきたのですが…
梅雨の合間を縫っての街道歩きでしたが、また戻り梅雨です。午後3時ですが、この時の歩きはここで中断です。