中山道武州路歩きは、桶川宿を過ぎ「上尾宿」に向かいます。

 

 

 

 

 

真っ直ぐな街道(県道)をひたすら歩きますと、久保西交差点です。その角に大きなお屋敷がありました。豪商・須田家です。南村須田家の分家で、醤油醸造・質屋を営み、本家とともに穀物・紅花で財をなしたそうです。

 

 

 

 

 

しばらく進みますと「上尾宿」入り口です。

 

 

 

 

 

民家の屋根に載る「鍾馗様」を時々見かけます。西の方に多いように感じましたが、東国でもあるんですね。火事除け・厄除けとして祀られるようですね。

 

 

 

しばらく歩き左に入ったところに「遍照院」があります。真言宗智山派のお寺で、室町時代の応永元年(1394)に開山されました。京都仁和寺の末寺です。

 

 

 

 

 

本堂は、2008年10月再建されたものです。

 

 

 

 

 

京都在住大仏師・松本明慶氏作「十一面千手観音菩薩」です。記憶が定かでないのですが、本尊不動明王坐像を制作依頼中で、その間仮安置されているものと聞いた記憶があります。

 

 

 

 

 

上尾宿を進みますと、宿場の中心部に「氷川鍬神社」があります。上尾宿の総鎮守です。創建は定かではありませんが、『新編武蔵風土記稿』『『御鍬太神宮略由来』によれば、万治年間(1658~61)3人の童子が鍬2丁と稲束を持ち、白幣をかざし踊り歩いて上尾にきます。そして童子たちはいづこかに消え失せます。残された鍬を本陣の林宮内が祀ったことから、「御鍬大神宮・御鍬大明神」と呼ばれてきました。明治になって、上尾村総鎮守氷川神社から女体社を合祀し、「氷川鍬神社」と称するようになったのだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

氷川鍬神社の正面に「上尾宿本陣(林家)」があり、その両側に「脇本陣3軒(白石家・井上家、神社の隣りに細井家)」がありましたが、現在の街並みはビルが立ち並び、かっての宿場の面影は全くありません。天保14年の記録では、旅籠41軒だったそうです。

 

 

 

 

 

享保7年建立の「庚申塔」があります。関東では生々しい仏像姿ですね。上尾宿は、このあたりまででしょうか。

 

 

 

 

 

 

「上尾宿」を過ぎ「大宮宿」に向かい街道を進みますと、漬物の老舗「河村屋」がありました。

 

 

 

 

 

170有余年前の文化文政期の創業とか。代表的なものは「大福神漬」だそうです。

 

 

 

 

 

さらに進むと「南方神社」があります。この神社は往古信濃諏訪大社を勧請したものだそうで、主祭神は建建御名方命を祀ります。

 

 

 

 

 

 

さらに進むと「加茂神社」です。創建は詳らかではありませんが、京都上賀茂神社を勧請したと伝わるそうです。加茂宮村の鎮守です。

 

 

 

 

 

 

英泉も実りの季節を迎えた神域と農民の働きぶりと旅路を描いています。