中山道武州路歩きは「深谷宿」に入ります。

 

 

 

 

「深谷宿」は、西の常夜灯から東の常夜灯まで、約1.7㌔です。この地は古くから開け、鎌倉室町時代に入ると関東管領の上杉氏にとって重要な拠点となり、14世紀後半、関東管領上杉憲顕顕は、新田氏や北関東の豪族を抑えるため、6男憲英を武州に派遣し、「庁鼻和城」を築かせます。これが「深谷上杉氏」の始まりです。

 

 

街道を進みますと、赤い鐘楼が目につきます。ここが深谷宿の西の入り口です。

 

 

 

 

西入り口の常夜灯です。高さ4m、天保11年(1840)富士講の人々によって建立されました。「天下泰平・国土安民・五穀成就」と刻まれています。

 

 

 

呑龍院です。河原念仏堂とも。

 

 

 

 

文久3年(1863)創業の「瀧澤酒造」です。銘酒「菊泉」の醸造元です。

 

 

 

 

 

レンガ造りの煙突が印象的です。

 

 

 

 

 

映画のロケ地にもなったとか。

 

 

 

 

深谷宿は、近くに中瀬河岸場をひかえ、中山道きっての賑やかな宿場でした。賑わった宿場だけあって、造り酒屋もいくつかありました。清酒「七ツ梅」の田中藤左衛門酒店ですが、廃業しているのでしょうか。

 

 

 

レンガ造りの倉庫もありますが、操業している雰囲気はありません。

 

明治の実業家といわれた「渋沢栄一」は、ここ深谷の豪農の生まれで、銀行をはじめ多くの企業を誕生させました。明治20年(1887)には、この地に「日本煉瓦製造(株)」を設立し、そこで生産された煉瓦は、東京駅や赤坂離宮などに使われました。そんなこともあってか、深谷の地には、レンガ造りの建造物が多くみられます。

 

 

 

 

「深谷シネマ」…深谷の町おこしの一環として、市民からの基金をもとに、2000年ミニシアターが立ちあげられ、2010年、七ツ梅酒造跡に移転したものです。ボランテア10名ほどで運営されたいるようです。酒蔵を利用した映画館ってちょっとお洒落ですね。

 

 

 

 

 

「深谷宿」は、江戸から二泊目の宿場ということもあって、大いに賑わいました。天保14年(1843)で、本陣1軒・脇本陣4軒・旅籠80軒を数えました。

 

英泉描く版画でも、客をいざなう飯盛り女を描いていて、深谷宿の賑わいがうかがわれます。

 

 

 

 

東白菊の造り酒屋「藤橋藤三郎商店」です。

 

 

 

 

「塚本燃料商会」…両袖うだつがイギリス積みレンガ造です。

 

 

 

 

 

江戸時代後期創業の米屋さん「だいまさ」の建物は、築200年の建物です。

 

 

 

 

 

 

「大谷邸」です。外門と大きな車庫は、深谷名物のレンガ造りです。内門は和風。昭和大恐慌の時、時の深谷町長故大谷藤豊氏が、失業者救済(お助け普請)で建てたもの。主屋等9件が国登録有形文化財となっています。

 

 

 

 

 

東の出入り口に建つ常夜灯です。深谷宿はここまでです。