旧東海道歩きは、「丸子宿」をへて「府中」に向かいます。とろろ汁・丁子屋を出たら、雨が降ってきました。

 

 

 

 

つたや…ってありますから、旅籠だったのでしょうかね。

 

 

 

 

丸子宿には往時の面影はありません。雨の中を歩きます。

 

 

 

 

「丸子宿・本陣跡」です。天保14年(1843)の記録によると、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠24軒であったそうで、東海道中、最も小さい宿場でした。

 

 

 

 

廣重描く「隷書版・東海道五十三次・鞠子」です。雪の情景を描いています。

 

 

 

 

「脇本陣跡」には「明治天皇御小休所阯」の石碑が立ちます。

 

 

 

造り酒屋「三州屋・しらい酒店」です。

 

 

 

 

「江戸方見付跡」です。見付とは、宿場の出入り口に見張り番を置いたところです。ここまでが丸子宿というわけです。

 

 

 

 

雨足が強くなり、折り畳み傘が風にあおられます。先を急ぎます。

 

 

 

 

手越原の交差点を斜め左に進みます。

 

 

 

 

このあたり「手越の灸」というのが有名のようです。

 

 

 

 

臨済宗のお寺「高林寺」です。「官許・元祖手越名灸所・御霊山高林禅寺」の看板が架かっていました。

 

 

 

安倍川橋が見えてきました。

 

 

 

 

この道は、旧東海道だったのでしょう。ここで堤防に突き当たり「川越人足による渡し場」だったのでしょう。

 

 

 

 

今は「安部川橋」を渡ります。大正12年(1923)完成した鉄製トラス橋です。総工費は当時のお金で594000円だったそうです。全長490.9m、幅7.3m。「土木學會選奨土木遺産」です。

 

 

 

 

吹き付ける風雨で、写真も思うように撮れません。「安倍川」は、江戸時代初頭、家康によって天下普請として大規模な治水工事が行われ、現在の流れとなります。

 

 

 

 

廣重描く「東海道五拾三次之内・府中・安倍川」です。静岡・山梨の県境安倍峠に源を発し、駿河湾へと注ぐ安倍川を渡る旅人を描いています。駕籠に載った女性、肩車で渡る姉さん被りの女性、荷をつけた馬を引く人足などを丹念に描き分けています。

 

 

 

 

 

安倍川といえばやっぱり「安倍川餅」でしょう。元々は、江戸時代の初めに弥勒院という山伏が還俗し、安倍川の河原で餅を売るようになり、これを「安部川餅」というようになったとか。

 

元祖せきべや𠮷五郎とあります。創業文化元年といいますから、200年以上の歴史があります。時間が時間ですから閉まっています。

 

 

 

 

開いていれば、出来立てのこんなお餅が食べれたことでしょう。

 

 

 

 

廣重描く「東海道五十三次之内・府中・あべ川遠景」です。すでに安倍川餅が名物だったことがわかります。

 

 

 

 

少し進んだところに「川会所跡」の案内板がありました。

 

 

 

 

雨だし、日も暮れてきたこともあって、旧東海道を正確にトレースすることなく、適当なルートで、静岡駅に到着です。安倍川橋から、想像以上に距離がありました。今回の旧東海道歩きはここまでです。駿府府中の見どころは、次回のお楽しみです。