この時(2020/6/16・6/17)の旧東海道歩きは、袋井宿から歩きはじめ、掛川で宿泊です。二日目は掛川から日坂宿へ、そして峠を越えて金谷宿、できれば島田宿までたどり着き宿泊。藤枝宿までを予定していました。

 

 

 

ホテルの朝食が6時半からです。早々に済ませ7時半出発です。掛川宿の西、「中町」から東に進みます。

 

日本で初めて「教養」という言葉が使われたのは、ここ掛川でした。藩主・太田資愛は、掛川城内北門の側に藩校を創設し、「教養館」と名付けたのです。この時先に記事にした「山崎住宅」松ヶ岡4代目山崎万右衛門から多大な財政援助があったようです。この藩校では、武士の子供だけでなく商人・農民の子も学ぶことが出来ました。自分の人生を豊かにする、そのために学び、教養を高める…そんな思いで名づけられたのでしょう。

 

 

 

 

掛川宿のあった中心部中町から東の方向を眺めたところです。宿場の面影は全く残っていません。このあたり、戦後も賑わったところのようですが、今はその賑わいも駅前付近に移ったようです。

 

 

 

このあたりに問屋場や本陣があったようですが、その跡を示す物も説明版もありません。掛川宿は、天保14年(1843)の記録によれば、本陣2軒、旅籠屋30軒など960軒・3443人が住んでいました。先に記事にした「円満寺」と「天然寺」は、朝鮮通信使の宿所として使用されました。

 

 

 

街道をはさんだ北側に「本陣通り」と名付けられた屋台通りがありました。ここに本陣の一つがあったようですが、ただ「本陣通り」の名を残すのみです。

 

 

 

 

食堂のようです。和洋折衷の建物です。

 

 

 

 

ここは「大手門通り」 先には過日記事にしました。「大手門」が見えます。

 

 

 

仁藤町の交差点に建つのが…

 

 

 

「桝忠」です。寛政2年(1790)創業の老舗呉服店です。老舗らしい風格ある建物です。掛川宿の街道筋で数少ない歴史ある風格ある建物です。

 

 

 

この日は定休日。近年改装されたのでしょうか。

 

 

 

老舗和菓子屋「桂花園」です。ここの名物は「丁葛」です。葛粉を固めたもののようで、器に入れ熱湯を注げば「葛湯」になるというもので、このお店の登録商標だそうです。

 

 

 

旧東海道は桂花園の道を挟んだ反対側に入ります。この道は↑図のようにクランク状に複雑に折れ曲がります。「七曲り」と名付けられたところです。城下町ですから、道を複雑に曲げ、敵の侵入を防ぐ防御のためにあえて複雑に曲げています。

 

 

このあたりに「東番所」があったようです。

 

 

 

この道は、「塩の道」の一部でもありました。塩の道は、遠州灘で採れた塩が、秋葉街道を経て信州に運ばれた道でもあります。

 

 

 

 

くねくねと折れ曲がったところに「秋葉山常夜灯」が建てられていました。

                                                   2020.06.17