掛川城登城を終え、城下町の散策です。

 

 

 

まずは天守閣から見えたお寺のような建物です。

 

 

 

「大日本報徳社の正門(静岡県文化財)」です。道徳門・経済門と刻まれている門柱は、明治42年(1909)の建立です。

 

そもそも「大日本報徳社」って何なんだろうと思う人が多いと思います。「報徳運動」は、明治維新前後の日本近代化黎明期に「二宮尊徳」の唱えた、道徳と経済の調和の中で困窮する農民の救済をはかるという報徳思想を全国に広めようとする活動でした。

 

二宮尊徳から直接に教えを受けた岡田佐平治、良一郎の指導活動が盛んであった掛川は、やがて報徳運動の中心となり、「遠江国報徳社」が創設されたのです。

 

 

 

二宮尊徳(二宮金次郎)は若くして父母を失い、貧しい中で勤労に励み、独学で見識を磨き、各地の困窮した農村の救済に手腕を発揮しました。その行動と実績を体系化して唱えたのが「報徳の思想」でした。

 

人間の欲を認めながらも、周りと巧みに調和させ、心もお金も同時に豊かに育もうという倫理思想で、明治経済界人にも浸透していき、渋沢栄一や豊田佐吉、松下幸之助、土光敏夫など多くの経済人に多大な影響を与え、その思想は今も脈々と息づいています。

 

 

 

 

「大講堂(旧遠江国報徳社):国重要文化財」は、日本で公会堂といわれた最初の建物で、報徳思想を普及する中心拠点として、明治36年(1903)建造され、いまも活用されています。

 

 

 

木造2階建ての建物で、日本瓦の大屋根、漆喰塗りの外壁、洋風の丸みのある窓など、荘厳な感じのある和洋折衷の建物です。

 

 

 

内部は周囲に廊下をめぐらし、1階は81畳の大広間。正面には演壇が設けられています。大日本報徳社の中心的かつ象徴的な建物で、わが国屈指の大規模近代的和風建築です。

 

 

 

2階は吹き抜けになっており、洋風の造りで、周囲が観覧席になっています。

 

 

 

初代総理大臣伊藤博文の自筆の扁額で、「無人蔵」と書かれています。人は天地空など自然の恵みを受けて生きています。そんな中で種を蒔き食料となる農作物を育てます。人が働けば天は無尽蔵に恩恵を与えてくれます。そうした勤労の大切さが「無尽蔵」という言葉に込められています。

 

ここ掛川報徳社2代目岡田良一郎は、第一回の衆議院議員も務めています。そんなわけで伊藤博文と親交があったと思われます。

 

 

 

隣接する建物は「仰徳記念館(静岡県文化財)」です。明治17年(1884)有栖川熾仁親王邸を昭和13年(1938)宮内庁から下賜され移築されたものです。

 

 

 

「仰徳学寮(静岡県文化財)」です。仰徳記念館とともに移築された有栖川邸の一部で、現在は大日本報徳社の事務所や資料保管室となっています。

 

 

 

「冀北学舎(静岡県文化財)」です。岡田良一郎が自邸に開いた私塾です。岡田良一郎は、尊徳思想を広めるかたわら、日本で最古の掛川信用金庫を創設したり、この私塾を開き、多くの逸材を輩出しました。

 

 

 

「淡山翁記念報徳図書館(静岡県文化財)」です。岡田良一郎(淡山)の遺徳を記念して昭和2年(1927)に建てられた鉄筋コンクリート造りの図書館です。装飾様式は当時流行っていたアール・デコの影響がみられるとか。

                                                      2020.06.16