小野道風(894~966)は、平安時代の三蹟(三人の字の上手な人物)の一人で、愛知県春日井市松河戸町に父・葛絃が滞在中、里人の娘を娶って生まれたと伝えます。
現在祀られている小さな小野社のあるところが、「道風屋敷跡」とされています。また近くの観音寺には、道風関係の遺物が所蔵され、伝承の確かさをうかがわせます。
道風の創始した書は、それまでの中国の書の模倣から脱したものと言われ、日本人の感性に合った優美なもので、和様の書といわれています。
その道風の偉業をたたえ、道風筆と伝えられる書を中心に、古筆から近代書家の作品まで、書専門の美術館として「道風記念館」が開設されています。
道風が生きた平安中期は、それまで数世紀にわたって中国から文化を学び模倣してきた時代にかわって、日本独自の文化を築こうとという気運の満ちた時代でした。漢詩に対し和歌、唐絵に対し大和絵が盛んとなり、漢字をもとに仮名が発明されるなど、文学・工芸・宗教・建築などあらゆる分野に国風文化が花開こうとした時代でした。
書においても、それまでの空海・嵯峨天皇・橘逸勢の三筆に代表される王義之らに強い影響を受けた唐様の書から、和様の書が書かれるようになりました。道風は、王義之に影響を受けながらも、それをもとにして優麗典雅な日本風の書を書き、その清新な書風は、当時から能書の名をほしいままにし、大嘗会の屏風や内裏の額字を書いたことでも知られます。和様の創始者として日本書道史上に特筆されるべき人物です。
智証大師謚名勅書(国宝)・・東京国立博物館蔵
道風といえば、柳に飛びつく蛙を傘をさしてじっと見ている姿を思い起こすことでしょう。
この寓話がいつ頃作られたかは定かではありませんが、江戸時代の学者三浦梅園の『梅園叢書』に、「小野道風は、本朝名誉の能書なり。わかゝりしとき、手を学べども、進まざることをいとひ、後園に躊躇(ためらい)けるに、蟇(かえる)の泉水のほとりの枝垂れたる柳にとびあがらんとしけれども、とゞかざりけるが、次第次第に高く飛びて、後には終に柳の枝にうつりけり、道風是より芸のつとむるにある事をしり、学びてやまず、其名今に高くなりぬ。
書の魅力・・あえて読まない鑑賞法・・なる「館蔵品展」が開かれていました。
記念館によれば、書を読むことから離れて鑑賞してみてください。視線を変えて書作品と向き合って観てください。多彩な墨色の美しさ、文字や行がおりなす余白の妙、文字を構成する線や空間を変形させたおもしろみ、筆の動きが生み出すリズムなど、書の魅力の楽しみ方が提案されていました。
あえて読まない‥といっても、やっぱり読んでみたい。↑の書は、平成2年文化勲章者・金子鷗亭(1906~2001)の書です。
亀游万歳池・・亀は遊ぶ万歳の池
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尾張教育研究会の展示会が併設されていました。わが孫(小1)の作品も展示されていました。表彰されたのですよ。