金沢ひがし茶屋街の中心部に建つ「志摩」の内部を見学します。
「志摩」は、ひがし茶屋街開設当初の文政3年(1820)に建てられたお茶屋の建物で、創立時より「越中屋」「尾張屋」「白屋」「竹琴」と幾度か変遷がありました。しかし、建物は江戸時代そのままの姿を残しており、学術的にも貴重な文化遺産として評価され、国重要文化財となっています。

茶屋建築は、2階を客間(座敷)とするため2階部分を高く造り、通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けているのが特徴です。



2階が客間(座敷)ですから、玄関を入ったらすぐ上に登ります。

お茶屋の2階には押し入れや物入れは造られず、あくまでも遊興を主体とした粋な造りとなっています。


客が床の間を背にして座ると、その正面が必ず控えの間になっています。この控えの間は、演舞の場であり、襖が開くと同時に、艶やかな舞いや三弦などの遊芸が披露されます。
ここでは遊びといっても、琴・三弦・舞・謡曲・茶の湯や、和歌・俳諧にまで及ぶものであり、客・芸者衆ともに幅広く高い教養と技能が要求されたそうです。

面皮柱と呼ばれる丸太の肌を残した柱を用い、漆にて全体に濃い色付けを施し、紅殻色の土壁や具象的図案の金物等で、独特の洒落で華やかな空間を醸し出しています。

紅殻色の壁と春慶塗の違い棚。襖の引き手に七宝を施し、凝った釘隠しや漆塗りの造作など許される限りの贅が尽くされています。

茶屋遊びは限られた時間と空間の中で繰り広げられる非日常の世界です。紅殻格子の中は贅沢な造り、粋なしつらえで、客を華やかな世界へと誘います。そして客と芸妓がひと時の空間を共有するのです。
芸妓は茶屋という非現実的な空間に生きる存在です。歌舞音曲はもちろん、装いや指先のふとしたしぐさにも気を配り、全身で艶やかな美や粋を表現します。客の心を満たす幅広い教養も必要とされます。
客も芸を解する力量が問われ、旦那衆は茶屋通いのため、自ら稽古事をし、芸をたしなみ、洒脱に心がけます。茶屋遊びのために旦那衆は労を惜しまず、芸妓はそれに応えて自分を磨き続けるのです。茶屋文化は、まさに「粋」を至上とする文化なのです。





お茶屋は、客たちに遊ぶ場を提供するいわば「貸座敷」です。客の求めに応じて仕出し屋から料理を取り寄せ、酒を供し、芸妓を呼ぶなど遊宴を支えるためあらゆる配慮をします。
清算は全て後日払いで、馴染み客を大切にし、新規の客は「一見さんお断り」となります。




2011.春