贅を尽くした北前船船主邸が残るという、加賀市橋立の町を訪ねます。

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 橋立は、北前船の隆盛により船主・船頭・船乗りが集住した集落でした。屋敷地を囲む板塀、笏谷石の石垣、古い赤瓦といった特徴をもつ「橋立北前船船主型」とでもいうべき独特の家が建ち並んでいて、国重要伝統的建造物群保存地区となっています。寛政8年(1796)には42名の船主がいたという記録が残っているそうです。ここには北前船によってもたらされた莫大な富により、絢爛と花咲いた北前文化が息づいています。

 北前船とは、江戸時代後半から明治時代にかけて、大坂と北海道を往復し、船主が荷主として各港で物を売り買いしながら航海することにより莫大な富を得ていました。うまくいけば大儲けできますが、失敗すれば大損どころか遭難すれば命の危険にさらされることもありました。まさに板子一枚下は地獄といった状況でした。 

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 北前船の里資料館(旧船主酒谷長平邸)です。酒谷家は江戸時代から明治時代にかけて6艘の船を所有し、巨万の富を築き上げました。この建物は、明治9年に建てられたものです。
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 ガス燈が時代の最先端を行ってます。

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 30畳敷きの大広間です。

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 梁や柱が素晴らしいです。北前船で巨万の富を築いた船主の豪勢な暮らしぶりがうかがえます。

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 仏間には冬用(向かって左)と夏用(右)と大小の仏壇が置かれています。船主が在宅している冬季や法事などには冬仏壇、平素は夏仏壇を用いたそうです。

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 蔵六園(酒谷長蔵邸)を訪ねます。酒谷長平↑の船頭、橋本宗七が分家し酒谷を名乗ったので「山崎酒谷」と呼ばれたそうです。

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 一番奥が当主の部屋、牡丹の間です。

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 藩主御成りの部屋は、銘木でできています。

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 大聖寺藩邸にあった石橋です。庭には北前船で運んだ全国の銘石が配されています。

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 同じく石灯籠。どちらも藩主前田利鬯(まえだとしか)から拝領したものだとか。

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                                2011.春