旧東海道関宿、木崎(こざき)の町並みをめぐります。

曹洞宗のお寺「瑞光寺」です。このお寺はもとは別のところにありましたが、兵火にあって焼失。関安芸守盛信が菩提寺として天正年間にこの地に再興したものです。

天正10年6月2日、織田信長は明智光秀に襲われその人生を終えます。いわゆる「本能寺の変」です。その時徳川家康は、堺から京都に向かっていたのですが、河内付近でこの事件を知り、「知恩院に入って腹を切ろう」と一旦は死を決意しますが、本多忠勝の反対にあって本国(三河)へと急ぎに急ぎました。これが世にいう「神君伊賀越え」でした。そしてようやく難所を越えここ関の瑞光寺に到着したのです。
当時の和尚は三河宝飯郡の生まれで、家康と幼馴染だったそうです。家康は暫し休憩した後、白子へと急いだ…。死を覚悟した人物がやがて天下を取る…歴史って本当に不思議です。
本堂です。



格子が本当に素晴らしい。

紅茶専門店のようです。2階の手摺りがいいですねぇ。

浄土真宗本願寺派のお寺「延命寺」です。この山門は、旧川北本陣の門を移築したものです。

町並みに配慮した意匠の百五銀行です。平成9年度三重県さわやかまちづくり賞を受賞しています。

見事な町家だったでしょうに…荒れています。残念ながらこんな建物がちらほら散見されました。こういった伝統的建物の維持・保存って、誰がどうしていくのでしょう。

遊快亭・坂口家です。同家はかって「松鶴楼」といい、関を代表する芸妓置き屋でした。

「開雲楼」も「松鶴楼」とならんで関を代表する芸妓置き屋でした。表の堅繁格子や弁柄塗りの鴨居や柱、そして凝った意匠の2階の手摺や格子窓にその面影を残します。

「御馳走場」と呼ばれる場所です。関宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり見送ったりした場所です。関宿には4カ所あったそうです。

2018.07.13