飛騨街道を上呂駅にむけて北上します。

イメージ 1
㊟地図は益田郡萩原町、下呂町となっていますが、今は下呂市です。


 料亭のようですが、お休みでした。
イメージ 2


 日差しは強く、遮るものがありませんが、爽やかな風があり、汗をかくことはありません。

イメージ 3


「心はつかめません。くみとるものです」…なるほどネ。

イメージ 4


 まっすぐな道をひたすら歩きます。

イメージ 5


 飛騨街道ではあまり見かけない「道祖神」がありました。信州ではよく見かけるのですが…。

イメージ 6


 光雲寺、真宗大谷派の寺院です。

イメージ 7


「上上呂」という字名のところのようです。ここは下呂市です。下呂市には北から「上呂・中呂・下呂」地区があります。更に「上呂」には、「上・中・下」があります。ですから「下呂市萩原町下上呂」…などと表記するのでしょうかね。ややこしいですね。

 今歩いている飛騨街道は、奈良時代、東山道飛騨支路(奈良~飛騨国府)」でした。『続日本記』によれば、美濃国の菅田駅(現下呂市金山町菅田)、次に飛騨国大野郡の伴有駅(上留:現下呂市萩原町上呂)があったのですが、この2つの駅間は長いし道も険しかったため、その間に「下留駅(しものとまりえき)」が新たに置かれました。宝亀7年(776)のことでした。これが時代が下るとともに「下留(げる)」と音読みされ、転じて現在の「下呂(げろ)」となったものとされています。

 そんないきさつがあって、益田郡「萩原町上呂・中呂」、益田郡「下呂町」となり、さらに市町村合併によって、「下呂市」となったということです。合併に際してはかなり揉めたようで、益田市とか南飛騨市とかの案もあったようです。

イメージ 8


 当初のおおよその目的地「JR上呂駅」に着きました。午後3時40分ごろです。車の停めてあるJR焼石駅に行く電車は、午後3時32分に発車したばかりで、午後5時23分までありません。発車時刻はわかっていたのですが間に合いませんでした。途中のレストランでの昼食休憩が間違いでした。

 通りがかった地元の方に「もう一駅(飛騨宮田駅)までどれくらいの距離があるでしょうか?」とお聞きしたら、「約4㎞だよ」とのこと、その飛騨宮田駅発は午後5時18分ですから、約1時間半あります。「1時間で歩けますか?」ってお聞きしたら、「歩けるんじゃないか」ってことでしたので、思い切って歩くことにしました。もし間に合わなかったら、さらに2時間待ちになってしまいます。先を急がねば…。

イメージ 9

                              2016.05.21