旧中山道最後の道筋武州路です。武州とは武蔵の国のことです。武州路は、本庄宿かtら江戸日本橋までの10宿です。
上・武二州を分ける神流川を渡り本庄宿に入ります。 旧本庄警察署です。明治の時代は、地方も西洋文明の夜明けだったのですね。
このあたりも養蚕が盛んだったのでしょうか。
深谷は渋沢栄一が操業開始した煉瓦の町。そこここに煉瓦が使われています。
熊谷宿にある「熊谷寺(ゆうこくじ)」。熊谷直実が世の儚さを悟り、法然上人に帰依し、生まれ育ったこの地に庵を建てたのが始まりとか。
熊谷宿を過ぎますと荒川堤に登ります。このあたり荒川は広いですね。
埼玉(さきたま)古墳群にも寄りました。その中の一つ「稲荷山古墳です。さきたまは、埼玉県の県名発祥の地とされています。この古墳から「金錯銘鉄剣(国宝)が発見された古墳です。
桶川宿にも、印象に残る建て物がいくつか残っていました。江戸時代紅花商人として活躍した矢部家です。
上尾宿の庚申塔です。武州に入って庚申塔もいくつか見ましたが、武州路の庚申塔は青面金剛が彫られたものが多いように感じました。道教に由来する庚申信仰ですが、日本に入って神仏と習合し、地域の人々に信仰された民間信仰でした。
明治に入って、政府によって迷信と位置付けられたためと、街道の拡幅工事により撤去や移転がされ、開発をまぬがれた旧道や寺社にわずかに残されています。
大宮宿にある武蔵国一之宮「氷川神社」です。大宮の名もこの神社が由来です。
浦和を過ぎ蕨宿です。この蕨は、明治に入って鉄道の施設に反対したため、開発からまぬがれ、旧道には旧宿場の面影が残っています。
街道は荒川にぶつかります。かって戸田の渡しがあったところです。ここが埼玉県と東京都の境です。かすかに建設中の東京スカイツリーも望めます。
日本橋から最初の宿場は板橋宿です。その名の由来となった石神井川に架かる板橋です。街道の起点は日本橋ですが、実際の旅はここ板橋宿が起点でした。
新撰組局長近藤勇がこの近くの刑場でで処刑され、首は京に送られましたが、胴体がここに葬られました。
特別名勝「六義園」も印象深い庭園でした。
あこがれ?の東大赤門(重文)。加賀藩邸の名残りです。
湯島聖堂も印象に残っています。
そして最後の目的地、日本橋です。
街道歩きも人それぞれ、スポーツとしてのウオーキングを楽しむ人、歌碑や句碑、あるいは道祖神を訪ね歩く人、歴史を訪ねる人・・・などなどです。いろんなものに出会い、感動し、勉強させられ、街道歩きの面白さを体験できた旧中山道歩きの5年間でした。
おわり。