旧中山道、木曽路・美濃路・近江路を歩き終わり、いよいよ塩尻から東に向かいます。信濃路は、本山宿から軽井沢宿までの15宿です。
 
 
 
 旧街道を広域に歩いていると、生活や文化に大きな違いがあることを感じます。食べ物についても地域性を感じますが、建物にもそれを強く感じます。
 
 
 塩尻宿付近を歩いていると、「本棟造り(ほんむねづくり)」という建物に出会います。長野県の中信地方から南信地方にかけて分布する建築様式です。切妻造り妻入り、ゆるい屋根勾配が特徴で、屋根には「雀脅し」とも「雀がえし」とも「雀おどり」とも呼ばれる大きな棟飾りがついてます。 
イメージ 1
 
 
 
 古中山道小野宿(三州街道)「小野家」です。ここにも「雀脅し」の棟飾りがのっています。この棟飾りの大きさを競うかのようなところが見受けられ、財力の象徴のようにも見受けられます。うだつに通じるところもあるのでしょうか。イメージ 6
 
 
 難所の一つ塩尻峠を越えますと、眼下に諏訪湖が広がり感動します。この道を進めば「下諏訪宿」です。
イメージ 7
 
 
 下諏訪といえば甲州街道との分かれ目。甲州街道は甲府を経て日本橋です。その下諏訪には諏訪大社下社が鎮座しています。
イメージ 8
 
 
 
  下諏訪は諏訪大社の門前町であり、宿場町です。そして温泉町でもあります。その下諏訪温泉で、47℃前後の高温で人気の『旦過の湯』という外湯があります。
イメージ 9
 
 
 諏訪大社下社春宮近くに鎮座する「万治の石仏」です。なんともユニークな石仏です。
イメージ 10
 
 
 さらに旧中山道を進みますと、諏訪大社下社、御柱祭のクライマックス、「木落とし坂」に至ります。御柱祭は斜度35度の急斜面を滑り降りる勇壮なお祭りです。
イメージ 11
 
 
 ここを進めば中山道最大難所の一つ和田峠に至ります。その和田峠も今はトンネルがつくられ、車で行けば簡単に抜けることができます。
イメージ 12
 
 
 和田峠(古峠)は標高1600m。峠には爽やかな風も吹いていましたが、冬季は寒気も強い上に雪深く、冬の和田峠越えは想像を絶するものがあったことでしょう。
イメージ 13
 
 
 和田宿本陣そして
イメージ 2
 
 
 長久保宿
イメージ 3
 
 
 信濃路もひろいです。ここまで来ると浅間山が望めるようになります。そもそも信州は、東日本と西日本の境界、太平洋側と日本海側との境界に位置し、東西南北の文化の接するところで、異質で多様な文化が重層的に積み重なっているのでしょう。
イメージ 4
 
 
 信濃路で目につくのが双体道祖神です。道祖神は木曽路あたりから東でよく見かけたのですが、信濃路に入って双体道祖神が目につきます。この写真の道祖神は、「祝言道祖神」と名付けられています。
イメージ 18
 
 追分宿の「別去れ」です。北国街道(善光寺街道)の分岐点です。一般に街道の分岐するところを「追分」というのですが、ここでは「分去れ」と呼んでいます。この道を進めば信濃善光寺に行けるのだと思うと、何かときめきを感じます。
イメージ 5
 
 
 追分宿には、作家堀辰雄がこよなく愛したという石仏があります。小首を傾げたなんとも素朴な石仏ですが、地元の人は「歯痛の石仏」と呼んでいるとか。
イメージ 17
 
 
 「軽井沢銀座」と呼ばれる軽井沢宿です。観光客であふれています。 
イメージ 14
 
 
 昭和10年に建てられた「聖パウロ教会」です。軽井沢の人気の場所の一つで、結婚式を挙げる人も多いです。 
イメージ 15
 
 
 信濃と上州を分ける碓氷峠。「木曾のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくば良い」と謡われた旧中山道の難所中の難所です。ここを降れば上州です。
イメージ 16