旧中山道木曽路歩きを東に向かって歩き始めたのですが、冬場に向かっていたこともあって(木曽の冬は寒いですからね)、ほぼ同時に旧中山道美濃路を西に向かって歩き始めたのです。いわば落合宿から東西にほぼ同時に歩き始めたということです。
 一般に「美濃路」といわれるのは、尾張熱田の宮宿と中山道垂井宿を結ぶ脇往還をさすようですが、ここでいう「美濃路」は旧中山道美濃路のことです。
 
 一口に「美濃」とていっても、中津川・多治見を中心とする「東濃」、関・美濃など長良川中流域の「中濃」、大垣を中心とする「西濃」と、広域にわたっていて、生活も文化も大きな違いがあります。その広域を東西に貫いているのが「旧中山道美濃路」です。美濃路は東濃の落合宿から西濃の今須宿までの16宿です。
 
 
 旧街道を歩けばうだつの上がる街並みに出会えます。うだつも各地で見かけますが、これも京から街道を経て伝播したものでしょうか。
 
 中津川宿のうだつの上がる造り酒屋です。
イメージ 1
 
 
 中津川といえば「栗きんとん」発祥の地ですね。季節限定のお菓子です。
イメージ 2
 
 
 大湫宿脇本陣保々家・・家紋が浮かび上がる漆喰壁が印象的でした。
イメージ 5
 
 
  ・・木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい・・と謡われた木曽川の太田の渡しです。
 
イメージ 3
 
 
 太田宿脇本陣(重文)にもうだつがあがっていました。防火というより権威の象徴のように思えます。
イメージ 4
 
 
 美濃といえば斎藤道三、そして織田信長ですね。金華山に聳える岐阜城です。
イメージ 6
 
 
 その岐阜城から眺める長良川です。
イメージ 7
 
 
 旧中山道美濃路は、木曽を源流とする「木曽川」、北濃を源流とする「長良川」、西濃の山間部を源流とする「揖斐川」と三つの大河が流れ、豊かな農地をはぐくむと同時に、たびたびの災害をもたらしてきました。中山道の道筋でも、水との戦いが随所に見られ、堤防のそこここに水神が祀られていました。
イメージ 8
 
 
 美濃路で忘れてならないのが「関ヶ原の戦い」でしょう。この戦いが天下を分けました。
 
 
 関ヶ原古戦場・・石田三成陣地からの眺めです。
イメージ 9
 
 
 関ヶ原を過ぎればれば「今須宿」。この先は近江の国です。