旧中山道木曽路歩きを東に向かって歩き始めたのですが、冬場に向かっていたこともあって(木曽の冬は寒いですからね)、ほぼ同時に旧中山道美濃路を西に向かって歩き始めたのです。いわば落合宿から東西にほぼ同時に歩き始めたということです。
一般に「美濃路」といわれるのは、尾張熱田の宮宿と中山道垂井宿を結ぶ脇往還をさすようですが、ここでいう「美濃路」は旧中山道美濃路のことです。
一口に「美濃」とていっても、中津川・多治見を中心とする「東濃」、関・美濃など長良川中流域の「中濃」、大垣を中心とする「西濃」と、広域にわたっていて、生活も文化も大きな違いがあります。その広域を東西に貫いているのが「旧中山道美濃路」です。美濃路は東濃の落合宿から西濃の今須宿までの16宿です。
旧街道を歩けばうだつの上がる街並みに出会えます。うだつも各地で見かけますが、これも京から街道を経て伝播したものでしょうか。
中津川宿のうだつの上がる造り酒屋です。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191202/00/houzan1/8c/7f/j/o0800060014656950288.jpg?caw=800)
中津川といえば「栗きんとん」発祥の地ですね。季節限定のお菓子です。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191202/00/houzan1/33/c5/j/o0555041614656950297.jpg?caw=800)
大湫宿脇本陣保々家・・家紋が浮かび上がる漆喰壁が印象的でした。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20191202/00/houzan1/b9/c9/j/o0800060014656950301.jpg?caw=800)
・・木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい・・と謡われた木曽川の太田の渡しです。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191202/00/houzan1/9f/aa/j/o0800060014656950313.jpg?caw=800)
太田宿脇本陣(重文)にもうだつがあがっていました。防火というより権威の象徴のように思えます。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191202/00/houzan1/53/28/j/o0748059914656950321.jpg?caw=800)
美濃といえば斎藤道三、そして織田信長ですね。金華山に聳える岐阜城です。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20191202/00/houzan1/70/14/j/o0800060014656950327.jpg?caw=800)
その岐阜城から眺める長良川です。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20191202/00/houzan1/e6/d3/j/o0800060014656950334.jpg?caw=800)
旧中山道美濃路は、木曽を源流とする「木曽川」、北濃を源流とする「長良川」、西濃の山間部を源流とする「揖斐川」と三つの大河が流れ、豊かな農地をはぐくむと同時に、たびたびの災害をもたらしてきました。中山道の道筋でも、水との戦いが随所に見られ、堤防のそこここに水神が祀られていました。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20191202/00/houzan1/2a/ff/j/o0800060014656950340.jpg?caw=800)
美濃路で忘れてならないのが「関ヶ原の戦い」でしょう。この戦いが天下を分けました。
関ヶ原古戦場・・石田三成陣地からの眺めです。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20191202/00/houzan1/13/2e/j/o0640048014656950349.jpg?caw=800)
関ヶ原を過ぎればれば「今須宿」。この先は近江の国です。