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 奥石神社から旧中山道を武佐宿に向って歩きます。国道8号線が別のところに開かれ、旧中山道は開発からまぬがれました。それだけに静かな町並みが残っています。



 轟橋と轟地蔵跡・・・以前ここに小幡人形で作られた千体仏があり安産祈願の仏像であったが、今は近くの福生寺に安置されているそうです。


 東光寺・・・東光寺はもと清水鼻立場近くにあった佐々木六角氏ゆかりのお寺で、六角氏滅亡後衰退していたものを寺号と本尊を譲り受けたと伝えられます。また境内には豊臣秀吉の右筆であった建部伝内の像が安置さた伝内堂もあります。


 泡子地蔵・・・昔ここに茶店があり、ある日一人の僧がこの茶店で休憩したした。そこの娘がこの僧に恋をし、その僧が立ち去り僧の飲み残した茶を飲んだ。すると不思議やたちまちに懐妊し男の子を産み落としたといいます。
 それから3年してその子を抱いて川で大根を洗っていると旅僧が現れて、「嗚呼不思議なるかなこの子の鳴き声がお経を読んでるように聞こえる」と言う。振り向いてその旅僧を見ると3年前に恋をした僧であった。女がそのときの話をすると、その僧が男の子に「フッ」と息を吹きかけたとたん、泡となり消えてしまったといいます。
 僧は西の方にある「あら井」というところの池の中に貴き地蔵があるので、この子のためにお堂を建て安置せよと・・・。
 現在は西福寺の地蔵堂に祀られています。

 この地蔵のいわれを見聞きして驚いたのは、醒ヶ井宿の西行水にある地蔵の話とそっくりなことです。多少距離ははなれてますが、中山道沿いの逸話として面白いな、と思いました。



 廣済寺・・・推古天皇2年(594)聖徳太子が武河綱に命じて建立されたものです。当初は天台宗に属していたが、嘉禎元年(1235)真宗に改宗。
 康安元年(1361)南朝軍に攻められた後光厳天皇(北朝)が落ち延び、60日間滞在したところです。また新しくは明治11年(1878)明治天皇北陸巡幸のときの行在所でもありました。