一鍼不乱に一灸入魂! その387
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
雲に覆われた夜明け前でありました![]()
![]()
![]()
土日は好天にも恵まれ、
気温もいい感じの頃合いでありまして、
普段ならば、
そろそろ木枯らしでも吹こうかという時期に、
本当に有難いものであります![]()
唯、
また今日あたりは天気も下り坂のようで、
日中暖かさではありましても、
寒さ対策はいつでも用意しておく必要は
ありそうですね![]()
という中本編へ(・ω・)/
年を重ねるにつれて、
段々と自己中心的になりがちな方を
見受けたりすることもありますが、
そうなっていく過程には、
やはり年と共に比例して、
「叱ってくれる人」
という存在が少なくなっていくことも
一因あるのではないかと思う次第であります。
自分という存在は何時でも何処でも
必ず正義で正しい存在ということは決してなく、
時と場合によりましては、
間違っているということもある訳であります。
そんな時、
小さなときであれば、
周りは皆経験ある
大人たちばかりでありますから、
即座にその場で叱られます。
しかし、
段々と大人になってきますと、
自分よ人生り経験のある人が少なくなり、
または見渡せば自分が一番年長となっていることもあり、
そうなってきますと、
はたから見て間違っていることであっても、
なかなか周囲も面と向かって
本人に叱ることもなくなってきてしまいます。
そうしますと、
いつしか自分は
何時でも何処でも正しいと思うようになり、
言いうなれば「裸の王様」状態と化してしまい、
気づけば誰も周囲に近づくことなく、
本気で相手にすくこともされなくなって
いるというような流れであります。
ということを考えますと、
いつの時でも
年齢経験関係なく叱る人が必ずいて、
それをキチンと受け止めることが出来る
気持ちを忘れずに持ち続けられることが
肝要ではないかと思います。
ですから、
叱っている人を遠ざけることなく、
寧ろありがたい存在として、
いつまでも在り続けてくれるように
精進せねばというところであります![]()
すべて世の中の諸道、
近道というものなし
無駄なきをこそ善とすべし
(歌人 大隈言道)
はりとお灸の豐春堂ホームページはコチラ
スマートフォン対応ホームページはコチラ
twitterはコチラ
facebookはコチラ
Instagramはコチラ
ほうしゅんどうLINE@
もし今回の記事がお役に立てましたら、上のお好きなところに投票を
お願い致します(。-人-。)


