一鍼不乱に一灸入魂! その376
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
雑木林の中はセミの鳴き声も全開でありました![]()
![]()
ホントにシャレにならない猛暑続きでありますね(-。-;)
特に日中の日差しは暑いを通り越して
危険な感じすらしてしまいます![]()
まだ暫くこの異常な猛暑も続くようですので、
くれぐれも無理せず体調を崩さぬように
していきましょう![]()
という中本編へ(・ω・)/
人の生き死にというものは、
自分でどうこう出来るものではなく、
何か目に見えぬものを感じざるを得ない
ものであります。
年を重ねてきますと、
人の死というものを身近なものとして
受け止める機会が多くなってきます。
また、
鍼灸師という医療従事に携わっておりますと、
直接的ではありませんが、
以前よりも死というものをより身近なものとして
受け止める機会が多くなったことも事実であります。
最後まで懸命に生きようとした方、
最後は生きることを望まなかった方、
結果としましては同じ死でありますが、
何故に生まれてから死に至るまでの
受け止め方が違ってきてしまうのか。
その人の環境や境遇がそうさせたといえば
そうなのかもしれませんが、
自分自身ではどうすることも出来ない
何かがあるのかもしれません。
それを運命とか宿命とか言うのかもしれませんが、
色々と考えさせられるのは本人ではなく、
残った者たちの心のうちでありまして、
恐らく答えというものは生涯みつからぬまま
また残った者たちへの宿題となって
行くのでありましょうかね(。-人-。)
すべて世の中の諸道、
近道というものなし
無駄なきをこそ善とすべし
(歌人 大隈言道)
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