一鍼不乱に一灸入魂! その310
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
幾分寒さも和らいだ夜明け前でありました![]()
いよいよ今年も残り2週間を切りまして、
年内の業務も締めに入ろうかという
時期となってきました![]()
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年末ごとの用事を片付けつつも、
何か実感が湧かぬといった
気持ちも片隅にはあったり
しております(^^ゞ
これも昨今
慌ただしさ漂う世間の波に、
季節感を味わう余裕を失っている
ということもあるのかも
しれませんねヽ(;´Д`)ノ
という中本編へ(・ω・)/
「若いうちの苦労は買ってでもせよ」
などという言葉があります。
だからといって、
本当の苦労は、
思い出話で振り返っても
やり直したいとは決して思わない
ものであります。
しかしながら、
年を重ねてきますと、
成程と思うこともあったりします。
若い時というものは、
これから何かを始めようとする際、
教わる人はほぼ年上の人ばかりで、
所謂下っ端扱いという位置から
始まります。
何するでも怒られたり、
いいように使われたりなどという
辛かったり、
悔しかったりする場面も
多々ありますが、
一方で、
人から教わる際は
その分何の気兼ねもなく
教わることが出来、
失敗しても
周りがフォローしたり、
学ぶ時間というものも
多く得ることが出来ます。
それが段々と年を重ねてきますと、
何かをしようとする際、
今度は自分より年下の人に交じり、
一から始めなければなりません。
またある程度出来るものとして
迎えられることも多く、
今までの経験を頼りに、
なかなか教わるというチャンスは
減ってきてしまいます。
人によりましては、
培ってきたプライドを
捨てきれずに、
新天地にて
失敗を責められたり、
扱われ方に対して、
自分のプライドが傷つけられる
こともあるかもしれません。
そうした中で、
一番大きな違いは、
自分の師となる人を見つける
チャンスが年を重ねますと、
本当に少なくなってしまうことです。
やはり、
自分の礎を築くためには、
若いうちにあれこれ
もがき苦しみながらも
模索していくということが
肝要なのではなかろうかと
思う次第であります(。-人-。)
すべて世の中の諸道、
近道というものなし
無駄なきをこそ善とすべし
(歌人 大隈言道)
こちらのコーナーも
本日今年最後となります(。-人-。)
来年も引き続き宜しくお願い致しますm(_ _ )m
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