一鍼不乱に一灸入魂! その294
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
早朝は随分と爽やかな空気感でありました:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
とはいえ、
恐らくこれから気温もグングンと
上昇してくることと思われますので、
外用事のある方は、
午前中の早めに済ませておきましょう(°∀°)b
また、
夏休みレジャー中の事故の話も
出てきておりますので、
くれぐれも安全第一にて
お楽しみください(・ω・)b
という中本編へ(・ω・)/
父から時折曾祖父の話を
聞くことがあります。
曾祖父は農家の次男坊にて、
東京へ出てきて亀戸水神付近にて、
八百屋のような商売を始め、
焼き芋のようなものも販売して
いたとのことでありました。
その後空襲で一体焼け野原となり、
店の元あるところへ帰ってみますと、
既に違う人がバラックを建ててしまっており、
今更こちらが言っても相手も困るだろうからと、
何も言わず放棄してしまったそうです。
その後、
祖父が警官をしておりましたので、
杉並の長屋のような警察寮に一緒に住み、
そこでジュウシマツやウサギを飼育して販売したり、
庭で野菜を作ったり、
草鞋を作って販売していたり
していたそうであります。
将棋も強く、
当時小学生だった父相手に、
飛車角香車桂馬抜きで
勝っていたそうです。
それから
若い時は身長150センチくらいと小柄ながら
力が強かったようで、
一俵の米俵をキャッチボールのように
ホイホイ投げ渡しが出来たり、
祖父に後ろを押させて、
荷車に自分の家の墓石を載せて
現在のふじみ野市付近から
小平霊園まで運んだそうであります。
また、
大の医者嫌いだったそうで、
晩年体の調子が悪いからと、
祖父が頼んだお医者さんの往診を
「自分の体は自分が一番よく知っている」
と追い返してしまったそうです。
大酒のみではなかったようですが、
晩酌好きで毎晩亡くなる一週間前まで
日本酒を2合ほど飲んでいたようです。
65歳の生涯という曾祖父の
ざっくりではありますが、
生き様を見ておりますと、
日々庶民的に平平凡凡としながらも、
現代に生きる人よりもずっと
濃厚な毎日に感じ取ってしまうのは
何故なのでありましょうか。
もしかしたら、
人生が楽しいつまらないと
あれこれ考えるよりも、
与えられた体と時間を使って、
精一杯日々生きる姿こそ
人本来の生き方だからなのかも
しれませんね(・ω・)b
すべて世の中の諸道、
近道というものなし
無駄なきをこそ善とすべし
(歌人 大隈言道)
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