週末追記116
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
昨日は雪になりまして
、
今まで降らなかった分のおまけも付けて
という感じの一日でありました(^^ゞ
ともあれ、
その甲斐もあってでしょうか
室内の湿度計も久々に60%台に
なっておりました(°∀°)b
家の前の路地も凍結しておりませんでしたし、
ホッと一息という感じのお湿りでありました(。-人-。)カンシャ
という週末の中、
お話を少々![]()
「〇〇の覚悟」
などという言葉を最近耳にしたりします。
覚悟・・・危険な状態や好ましくない結果を予想し、
それに対応できるように心構えをすること。
(スーパー大辞林より)
覚悟するためには、
自分自身や周囲の身に起きることを
全て受け入れておかねばならないという
ことであります。
昔で言えば、
それは「死」であります。
歴史上の出来事において、
責任を取るということは、
イコール「死」でありました。
自らの命を持って
招いた責任を償う。
裏返せば、
それだけの信念を持って
生きていたということであります。
何故ならば、
自分の招いた過ちは
自分だけでなく多くの人たちも
犠牲になるからであります。
最近よく見かける
土下座や深々と頭を下げる光景。
果たしてそこに覚悟はあるので
ありましょうか。
人々が今求めているのは、
言葉の羅列ではなく
真の覚悟を持った姿であります。
今の世の中を
どんなに優秀な頭脳を集めたところで
全ての人たちを救うこと
満足させることは叶わないでありましょう。
また、痛々しい姿や悲壮感を漂わすといった
また別の覚悟というものを
共有しようとも考えてはいないでしょう。
かつてのように「自決」「切腹」のような
ものが責任を取る手段として、
良いかどうかは分かりません。
しかし今をみておりますと、
責任のケジメが余りにもないがしろに
されすぎてはいないでしょうか。
どの時代をみましても
人々は常に攻めることで
時代を切り開いてきました。
この攻めるというものは、
単に戦争というものだけではなく、
あらゆる文化文明の中にも
存在します。
そして一方で、
一度守りに入ったものは、
遅かれ早かれ必ず淘汰されている
ということであります。
何故守りに入ると淘汰されるのか。
それは覚悟の代わりに
あるものが芽生えるからであります。
それは「言い訳」であります。
守るという感情は、
やがては自己保身のためだけとなり、
そこに生まれてくるものは
「言葉」
であります。
そもそも言葉というものは、
自分を守るために存在します。
言葉は相手に伝える手段であり、
言葉によって
人は様々な感情を抱きます。
ですから、
言葉が多ければ多いほど、
それだけ自己保身が強いということに
なるのかもしれません。
今に照らし合わせてみますと、
例えば政治の世界をみてみれば、
沢山の言葉がてんこ盛りに
トッピングされてはいないでしょうか。
覚悟を決めた人がいて、
その人を覚悟を決めて付いていく人がいて、
己の命尽きるまでまで攻め続けていく。
自分の魂を賭けて臨む姿があれば、
自然と周りの魂もそれに応えてくれる
筈であります。
言葉よりもまず先に、
真の覚悟を決めた姿をみせた人物を
今の時代は求めているのではないでしょうか(^-^)/
寒くて首をすくめながら歩いても
ココロにはいつも太陽を![]()
みなさんにいつも
笑顔がそばにありますように
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