一鍼不乱に一灸入魂! その87
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
昨晩も定例の家飲み会
でありましたが、
ここのところポッピーで割る焼酎の度数を、
25度から20度に下げるようになりました(・ω・)/
たかが5度![]()
されど5度![]()
この違いで、
翌朝の調子が違ってくるもので
あります(≧▽≦)
量は減らさず、
度数で調整(°∀°)b
今週も頑張らねば![]()
であります(^-^)/
という中本編へ(・ω・)/
辛い痛みや悩みというものは、
肉体が感じているものなのか、
それとも
魂が感じているものなのか
人と接する中で、
ふと頭を過ぎる時があります。
現代の日本で、
肉体の寿命はおおよそ80年。
どんなに日頃から摂生し、
身も心も健康的な明るい日々を
暮していたとしても、
やがて老いは必ず訪れます。
そう考えますと、
治療というものは、
一体何のために行っているのか、
どういう気持ちから生まれてきたものなのか
という問題に当たります。
その時、
肉体だけを考えて答えを導きだそうとすると、
いずれ消える者に対して、
幾ばくかの施しをしても
結果は大きく変わらないのでは
ないかという自己矛盾を抱えてしまいます。
しかし、
魂を基にして考えてみますと、
肉体亡き後も
仮に存在できるものであるならば、
その魂そのものに少なからずとも
「癒し」を施すことが出来るのでは
ないでしょうか。
どれこれ決まりはなく、
人それぞれ様々な方法で、
その人そのものを癒す。
現実的に見えるものを考えれば、
はりやお灸の先にあるものは、
皮膚、筋肉などであります。
けれども、
本来その先に繋がっているものは、
「魂」でなければならないような
気がしております。
このブログタイトルのように
「一鍼不乱に一灸入魂」
という気持ちをこめて、
日々取り組んでいかねば
であります(・ω・)/
「ローマは一日にしてならず」
日々是精進の日々(。-人-。)カンシャ
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