一鍼不乱に一灸入魂! その86
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
昨日は久々に暑い一日でありました( ̄Д ̄;;
暑さに対して、
全くのノーマークであったため
気づいたら暑さに取り囲まれていた
まさに「茹でガエル」の心境でありました![]()
今朝は再びいつもの秋の空気に戻り、
週末に溜まった洗濯物を一気に干し、
気持ちのいい週の始まりとなりました:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
という中本編へ(・ω・)/
今年もはや終盤戦に差し掛かり、
そろそろ治療院関連のことも
来年を見据えたものを練るような
時期となっておりましたので、
予約表やら
入力用の帳簿やら
売上予算やらと
パソコンにてあれこれと
作成しておりました![]()
という中、
ふと思ったことがありました。
「来年の目標は?」
という風に考える時、
よく「数値」を目標に挙げる
ケースがあります。
当然、
数字の面は大切なことですので、
考えなければいけないことなのでは
ありますが、
それを一番に掲げるというのは、
今の私としては「?」マークが
付く訳であります。
かつて、
私の高校入試などを受ける時代、
入学先を決める指標に
「偏差値」
という数字を使って先生は、
生徒に指導しておりました。
確かに数字を基にすれば、
合格ラインなども見えてきますので、
分かりやすいと言えば分かりやすく、
また、
この数字を上げることが、
学生の本分であり、
学業の根本であると
当時は思っておりました。
しかし、
数字だけを追っておりますと、
とてつもなく勉強に対する不快感が
大きくなり、
数字を上げること
維持することに
苦しさだけが募っていったという
苦い記憶があります。
また、
入った高校は偏差値でしか見ていなかったため、
校風や理念などが自分に合うものかなど、
入ってからでなければ分からず、
自分の考えとのギャップに苦しだ
時もありました。
社会で言えば、
営業成績を壁に貼り付けて
棒グラフの高さを競い合う
という感じでありましょうか。
私も営業経験がありますが、
数字の積み上げ作業を主眼にしていた当時、
苦しさだけが先行していたような
印象であります。
大きなところに目を向ければ、
メジャーリーグのイチロー選手も
毎年「200本」という数値を掲げでありました。
今年はついに途絶えてしまいましたが、
はたから見ておりますと、
本人はかえってホッとしたような
印象を受けました。
何故、数字を主眼とすると苦しいのか。
それは、 「孤独」だからではないでしょうか。
数字には競争相手はおりますが、
結局は個人のものであり、
上手くいこうがいくまいが、
自分にしか返ってこないものであります。
ですから、
幾ら沢山積み上げても
孤独感を拭い去ることができない
のではないでしょうか。
沢山お金を稼ぐことを主眼にしても
何だかいつまでも満たされない
心の空白が存在するのも
このせいであるかもしれません。
人は一人になることに
大きな不安感を抱きます。
「分離不安」
人は直接的にせよ
間接的にせよ
つながりを持つことで
安心感を得ます。
また同時に
幸福感も得ることができます。
経済社会の中では、
数字は欠かすことの出来ない
大切な存在であります。
ただ、
それは決して生きる上において、
メインではありません。
まずは、
相手にとって必要なものを探し求め
そのために自分に何が必要なのか
今の自分にできることは何だろうか
それは今存在する中にあるのか
または新しく作らなければならないのか
そして、
この必要だと思うことを実行することで、
相手に対してどんな喜びを与えることが
できるのだろうか
結果として、
お互いに感謝の気持ちが生まれ、
お互いに必要としあえる喜びに包まれる。
「仕事」というものは、
こうしたことから生まれてくるのでは
ないでしょうか。
「学業」も然り。
この学校に自分は何をもたらすことが
出来るのだろうか。
どうすればお互いに喜び合えるのだろうか。
といいつつも
勉学は人の役に立つためにするものなのだと
私が気づいたのは、
鍼灸と出会ってからでありますが(^^ゞ
気持ちのいい朝を迎えて
気持ちのいい出会いがあり
気持ちのいいまま一日を終える
「何か必要なものはないですか?」
この気持ちをもって日々過ごしていきたい
もであります(。-人-。)
「ローマは一日にしてならず」
日々是精進の日々(。-人-。)カンシャ
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