週末追記82
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
昨日は玄関周りを
もう少し広く見せられないか(・ω・)/
という風に考え、
少々配置換え行いました(・∀・)イジルノスキダネェ
気持ち程度ではありますが、
心なしか広くなったような感じに
なりました( ̄▽+ ̄*)アージコマンゾク
という週末の中、
お話を少々![]()
「渦巻いてにごらない滝壺の水のように」
待合室にある相田みつをさんの
日めくりカレンダーにある
一文であります。
人も同様に、
同じ場所にとどまり続けると淀んでしまう。
この国はいつの頃からか
同じ場所に留まるようになり、
結果、
世の中が淀んでしまったのではないだろうか。
不平不満を言いつつも、
結局
同じ場所に留まることを由として、
本質的には何も変わろうとはしなかった。
確かに、
新たな試みというものは
大きなリスクもはらみ、
もし失敗すれば
誰かが責任を取らねばいけない
ことになるかもしれません。
もしかしたら、
そのためにその後の一生を
台無しにしてしまうかもしれません。
だったら、
少しくらい不満はあろうとも
わざわざ危ない橋を渡ってまで、
新たなことに踏み込まなくても
いいのではないか。
そうすれば、
誰も責任を取らなくてもよく、
それなりの生活を行えるのではないか
という人としての停滞
つまり
「心の淀み」
が生まれます。
すると、
次第に淀みの中で人々は
動きを止めるようになり、
更には
その淀みゆえに
身動きが取れないようになってきます。
結果、
いざ動かねばいけないところまで
追い詰められた時、
既に何も出来ず、
責任の取り方の術も知らぬ人々たちは、
足掻くように降りかかる「淀み」の
責任を押し付け合い、
その淀みの深みに唯、
嵌っていくのみであります。
「渦巻いてにごらない滝壺の水のように」
動物は絶えず身に置かれた状況に
対応できるように変化していかなければ、
いずれは滅んでしまいます。
人も然り。
保身や責任逃れは、
やがて身を滅ぼします。
末永くある続けるために、
やはり絶えず人生は
渦を巻いていかねば
いけないのかもしれませんね(^-^)/
寒くて首をすくめながら歩いても
ココロにはいつも太陽を![]()
みなさんにいつも
笑顔がそばにありますように(*^▽^*)
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