週末追記60
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
バタバタと過ごしているうちに週末となり、
気付いたら月曜から晩酌
を全くして
おりませんでした(@ ̄Д ̄@;)ナンダト!?
健康のためにわざと抜いたということは
ありましたが、
なし崩し的に酒を飲むのを忘れていた
というのは、
記憶にありませんですな(-"-;Aウーム
という一週間の最後でありますので、
気付いたことを少々(・ω・)/
この国で、
肩書き等はあるにせよ、
形式上では、
誰もかれもが一般人という形になったのは、
戦後あたりからではないでしょうか。
今も結婚などで家柄がどうのとか
多少はあるかもしれませんが、
普通に生活している上では、
身分どうのこうのというのは、
殆ど気にすることはありません。
「身分」とは、
人の社会的状態の中で外形的なもののことである。
身分の例としては、地位・職業などがある。
(ウィキペディアより)
身分というものは、
はるか昔から存在しておりました。
江戸時代には士農工商という形で、
生まれながらにして、
おおよその生き方が決められてましたし、
明治以降も四民平等とはいえ、
家柄という形で、
身分というものは残っておりました。
かつてそれまでは、
良い悪いはあるにせよ、
身分に応じて、
「分相応」に人々は
暮らしてきた訳であります。
そして現在、
生活レベルの格差はあるにせよ、
生まれながらにして、
「この身分で生きなさい」
ということは
ありません。
唯、こうして見てみますと、
身分というものがなくなったというのは、
ここ最近ということでして、
現在はそれなりの身分の人が
地位に就くというより、
一般の人が肩書きとして
それぞれの身分についた名前を
使っているような感じでしょうか。
そう考えてみますと、
今の高いといわれる身分の人に
重みがないのは仕方ないことなのかも
しれません。
様々な経験を積みながら生きてきた
「分相応」な一般の方が、
身分の肩書きをつけるなら
いいのですが、
その名前を語るところまで達していない
人が使ってしまうと、
本人は勿論、
周りの人も
後々辛い思いをしなければ
ならなくなります。
例えば、
大金が手に入ったとしても、
それを使いこなす準備をしてきた人と、
そうでない人の場合、
後々の人生は大きく変わって
しまうようなものでありましょうか。
そして、
急に大金の入ってきた人が、
身も心もお金に囚われて、
人格自体が変わっていってしまうように、
一度分相応でない人が、
身分の味を覚えてしまうと、
その人の人格そのものが、
身分に囚われ、
気付けば身分に操られた
日々を送ることになってしまっている。
ですから、
現在の自分の力量を
しっかりとわきまえ、
身の丈にあった生活をすること。
そして、
夢があるならば
明日それが叶ってもいいような
心構えと準備を怠らないこと。
こうしたことが必要なのでは、
ないでしょうか。
残念ながら
今の様々な高い身分を肩書きとして
背負っている人たちは、
その高い身分というものに
ただ操られているだけのように
見えてしまって、
怒りや失望感よりも
「予期せぬ大金が転がり込んできて、
狂喜乱舞し、周りも見ずに散財し、
気付いたら無一文になってしまい、
更には大事な友も失っていた」
というような人たちと
同じ末路を辿るような気がして、
少し哀れに思ったりするのは、
私だけでありましょうかσ(^_^;)
寒くて首をすくめながら歩いても
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笑顔がそばにありますように(*^▽^*)
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