週末追記34
久々の晴天です
今日は、日中お出かけする方も
多いのではないでしょうか
少々冷たい風が吹いておりますので、
晴れているかと言って、
あまり薄着ではしゃいでいると、
えらい目に
あいますので、
気をつけましょう(^-^)/
ところで
、
最近、「エリート」って言葉、
あまり聞かれなくなったような気がしませんか?
エリートとは。。。
「社会の中で優秀な能力や影響力を持つ人間や集団である」
(ウィキペディアより)
という言葉を見て、
穿った見方かもしれませんが、
頭脳明晰はあるかもしれないけれど、
決して良い人を想像できないのは、
私だけでしょうか。
一昔前ならば、
彼らに任せておけば、
決して間違った方向に行くはずがない。
だから、難しいことは彼らに任せて、
自分たちは自分たちのことを
考えていれば良い
といった考えが、
多くの人の中にあったと思います。
けれど今、
かつてエリートと言われていた
ところに属する人とはいえ、
社会に対する影響力と
社会を動かしていく能力は、
決して併せ持っている訳ではない
ということが、
徐々に社会の綻びが見える中で、
ぼんやりと映し出されつつあります。
もしかしたら、
今の教育制度の限界が根底に
あるのかもしれません。
ですが、
それよりも大きいことは、
「優秀な人材という定義」が、
そもそもずれていたのではないかという
ことにあります。
例えば、
教科書の暗記や試験の問題が人より
優れていたとしても、
それがそのまま今の社会に対して、
適応した人材、
または将来的ビジョンを描ける人材に
なりうるかといえば、
必ずしもイコールにはなりません。
ですから、
かつては、それを修正するべく、
終身雇用、年功序列、
社員は家族も同然という形で、
一から人を育てていくという
ことを行ってきました。
しかし、気づけば長年の中で、
馴れ合いもたれあいが横行し、
そのような制度は劣化し、
今は昔のものとなってしまいました。
結果、以前と変わらぬ学力を持つ人といえども、
社会適応力がうまく育たないまま、
ポジションと責任を背負う場所に赴き、
世間の求めるものとは乖離した
仕事をしてしまう。
一流は生まれながらに一流ではありません。
優れた才能は、
純正培養し、大切な無菌の中で
育てるものではなく、
時には汗を流し、
時には泥水をすすり、
大いなる壁や挫折に遭い、
人々の痛みや悲しみ、
そして、
温かみや優しさを感じながら、
育まれるものではないでしょうか。
優れた才能を育むとは、
一等賞だけを優遇して、
あとは全て否定するという
次元のことではありません。
このまま同じパッケージの型に押し込める
ような人間ばかりを育てるより、
一人ひとりにきらりと光る才能を、
どうぞ大事に育むような社会に
なってもらえればという願いです。
これから人口が減少していく中、
これからは「エリート」ではなく、
それぞれの「エキスパート」を育てるような
土壌が必要なのではないでしょうか。
そう、個々が誇りと自信を持てるように(^-^)/
寒くて首をすくめながら歩いても

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みなさんにいつも
笑顔がそばにありますように(*^▽^*)
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