日本でなぜNVIDIAのような会社が生まれなかったのだろうか?

 その頃を以下のように年代順に振り返ると、半導体の世界シェアの半分を占め、高度な画像処理を求めるゲーム機でもリードしていた。人工知能の基礎理論も確立していた。ゲーム機を並べればスーパーコンピュータに匹敵することもわかっている。

  • 1982年 コホネンが自己組織化マップを提案。教師なしニューラルネットワークで動物の種も分類
  • 1983年 初代ファミコン発売
  • 1986年 ソニーLSIデザイン誕生、LSI設計とマイコンソフトの開発に従事
  • 1989年 日本企業5社が世界の半導体市場の5割以上を占める
  • 1989年 サイベンコのニューラルネットワークの普遍性定理、任意の連続関数を3層でノードを多く取れば望む精度で近似できることを証明
  • 1993年 NVIDIA設立。ゲームやメディア市場に3Dグラフィクスをもたらすのが趣意
  • 1994年 初代プレイステーション発売
  • 1999年 NVIDIA GPUを発明
  • 2010年 米空軍研究所が「プレイステーション3」約1700台でスーパーコンピューターを製作
 AIの原理も80年代には分かっていたし、GPUの可能性に気付いていた人たちも、日本企業にも相当数いたと思う。この事業機会を見逃した理由としてはいくつか挙げられる。将来性に確信が持てなかったのが一つ。産業用に信頼性の高い製品をという志向性が、ゲーム機用に信頼性はそこそこで、という発想と相容れなかったのも一つ。巨額の半導体投資を続けるために新規事業投資を控えたのも一つ。独立したての会社への投融資は控えられる。他にも理由があるだろうか。

 循環思考の観点では、分岐に可能性を見出す、各分野の関係者たちを集めて将来を議論する、価値観や流儀が違うので別に組織を置く、といった措置が大事かも。