自然科学分野における「トップ10%論文数」のランキング1位は、5万4405本の中国。2位は3万6208本の米国。3位は8878本の英国、ちなみに日本は3767本である。人工知能、量子技術、バイオテクノロジー、先端材料、ロボット、エネルギー、環境、宇宙などの重要分野では軒並み世界一だそうだ。半導体、太陽電池、スマートスピーカー、風力タービン、スマートフォンなどの生産では世界一のシェアを占めるという。

 これを支える人的資本として指摘されるのが、米などへの留学生である。アメリカ在学中の留学生は35万人以上。インド19万人、日本は2万人。その4割がSTEM分野である。そして博士号所得者数は毎年恒例5千人以上。インド2千人超、日本は200人弱。大変な人的資本の厚みであり、今さら日本がハイテク分野で中国を凌ぐとかとても主張できる差ではない。

 その発端は、文化大革命で知識人が弾圧された後、復権した鄧小平の1978年の談話「自然科学を中心に数千数万人の派遣をすべき」であった。以来、公費派遣から自費派遣、優秀な留学人材の帰国促進と制度を試行錯誤を経て整備し、今に至っている。その間、五十年足らず。日本が失われた三十年、四十年、「役立つ」大学改革とか停滞しているあいだに、隣国ではほぼゼロから世界最高水準にまで到達点した訳だ。

 自然科学分野だけではない。1980年代初頭から中国の経済学者は近代経済学の研究を急速に進め、世界の著名な経済学者を招き、計量経済学、国際経済学、開発経済学で大きなワークショップを開催する。そして鄧小平によって用意された機会を生かし、数万人もの卒業生が海外で研究を進める。当時の中国の指導的な経済学者たちが欧米のトップクラスの大学に赴き、博士号を取得する。

 そして80年代半ばから、こうした経済学に精通した学者たちが外国の経済学者とともに、経済改革の制度設計に携わった。世界銀行とともに中国の長期的発展の問題と選択肢の調査報告書をまとめ、指導者層も熱心に読み、議論した。経済体制改革に関する全体計画も起草され、第一段階では、企業改革、財政・税収システム改革、金融システム改革、中央銀行システム改革、商品市場における価格改革が重点に置かれ、第二段階では、要素市場の確立、指令的計画の廃止、そして計画経済から商品経済への転換の完成を織り込んでいた。経済学者の研究成果は1985年の中国共産党全体会議で受け入れられ、中国の経済改革のための具体的な目標を定めた。御用学者によるおざなりの審議会とはまるで趣が違う。こうした経済制度の設計の上で、ハイテク分野が発展することになる。

 最高執行部など政治分野もこの流れにあった。2002年の最高執行部政治局9人のうち胡錦濤をはじめ4人が清華大学理系の出身だった。清華大学はもともと米国留学予備校であり、2002年以降5年で500人の高級幹部をハーバード大学ケネディスクールに留学させてきた。中国軍の武官クラスも毎年20名を短期派遣させている。行政や軍事も米国に学び、当然に人的な繋がりも広く深い。マスコミは米中対立の構図を好むが、そんな一面的なものではない。ちなみに日本の省庁からもフェローとかで派遣されていたが、学問はおざなりでゴルフ三昧だったとか。大臣答弁の下書きがシンボリックだが、帰国しても学んだことが生かされない政治体制だからなのだろう。


 人的資本といえば経済学者ゲーリー・ベッカーが著名だが、その考え方をもっとも大規模で全面的に実践したのはひょっとしたら中国なのかもしれない。それがイノベーションとそれをうながす制度設計の源泉であった。