可能世界を発展させた形が、様々な物語になるのではないだろうか。可能世界論は量化子や反事実的条件文など主に命題を扱うが、物語は統辞論的次元にて世界観を構成する。人は現実や空想を織り交ぜた様々な物語の中で、自分の有り様を見出していく。

 物語は世界認識の方法である。人は様々なコミュニティに属し、それぞれにおいてコミュニティと関係したアイデンティティを備えて、物語として意味世界を構成する。例えば、会社では社運をかけたプロジェクトで調整役を演じ、地域では数数の危機克服の逸話を持つリーダー、趣味のランニングではペースメーカー、といった具合である。会社での物語は反対勢力の説得、内部分裂の回避などのエピソードを私の履歴書のように伝える。彼がいなかったら、という可能世界は周りも語る。

 こうした物語の構成能力は、小説や演劇、映画からも培われる。可能世界論で言う対応者は語り手で、主人公は何かを探す主体であり、協力者と敵対者が登場し、約束と裏切り、闘争と和解、連帯と分裂といった過程を織り込んで、結末に至る。私たちはこうした物語によって、時間軸を埋め込んで社会的文脈を捉える。こうした物語に学んで、自分自身の物語を作る。さらにホールデン・コールフィールドは自分自身を投影している、と言ったように読者が物語世界に取り込まれて現実と言われる世界のアイデンティティにも影響するほどだ。可能世界の到達関係に相当する。

 この自分の物語は永遠に未完かもしれない。